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モスクワ郊外で3月29日、襲撃を受けて焼け焦げたコンサートホール=ロイター
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ブレット・スティーブンス

 3月22日にモスクワ郊外のコンサートホールで発生し、少なくとも139人が死亡した(訳注:ロシア当局は29日、死者が144人になったと発表した)テロ事件については、二つのもっともらしい仮説がある。ひとつは、内部犯行、つまりロシアの治安機関によって画策されたか、あるいは少なくとも彼らの予見に基づいて実行されたというものだ。

 二つ目は、そうではなかったということだ。

 陰謀論は、開かれた社会では変人のためのものだが、閉ざされた社会では、政治現象を理解するための(常に正しいとは限らないが)合理的な方法なのだ。

 1999年、当局がチェチェン人テロリストの犯行だと主張したアパート爆破事件で、300人以上のロシア人が死亡し、1700人が負傷した。この爆破事件は、第2次チェチェン戦争を開始する口実となり、(現ロシア大統領の)プーチン氏は、二級どころの役人から連邦保安庁(FSB)長官、首相へと急速に昇進した。

 その後、奇妙なことが起こった。警察は、リャザン市のアパートの地下で、朝5時半に爆発するようにセットされた起爆装置とタイマーにつながれた、白い粉が入った三つの巨大な袋を発見した。初期の検査で、この粉には他の爆破事件でも使用されたRDX(ヘキソーゲン)という爆薬が含まれていることが判明した。

 警察はすぐに袋を置いた犯人を逮捕したが、彼らはFSBの職員であることが判明した。後にロシア政府は、袋には砂糖が詰められており、訓練のために建物内に置かれていたと発表した。しかし、歴史家のデービッド・サッター氏らが記しているように、この主張は荒唐無稽に近い。そして、この事件を調査しようとした多くのジャーナリストや政治家が、毒殺されたり射殺されたりした。

血を流すことへのアレルギーがない

 なぜこの歴史が重要なのか…

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