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「一方的に話す講演はしないけれど、子どもたちと対話する形なら」と同志社小学校の開校10周年記念で来校した谷川俊太郎さん。子どもたちの話をうれしそうに聞いていたという=2015年11月、京都市左京区、同校提供
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 子どもから大人まで多くの人に親しまれた詩人の谷川俊太郎さんが、亡くなった。100校を超える校歌の作詞を手がけ、後悔から歌詞を変えたことも。谷川さんの言葉は、全国の学舎(まなびや)に根を張っている。

四日市ぜんそくに逡巡

 「この空は 宇宙へ続く 新しい 答えを待って」――。谷川さん作詞の三重県立四日市南高校の校歌ができたのは1963年。作曲は武満徹さんだ。梅原浩一校長は「谷川さんが初めて作詞した校歌で、知人の武満さんに作曲をお願いしてくれた」と聞いた。

 実はこの歌詞、78年に変更された。「炎をあげる スタックが 限りない 未来を照らす」とあった一節は、「心にひめた 問いかけは 限りない 未来をめざす」に。契機は、四日市ぜんそくだった。

「私は知らず知らずのうちに、学校を国家に隷属させる手助けをしていた」ーー。谷川さんの逡巡を、学校はどう受け止めたのでしょうか。別の小学校では「大人にとっても、かみしめればかみしめるほど心に響く」という歌詞も。

 「当時、日本の高度経済成長…

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