自社の商品に囲まれて。「豆腐バーは唯一無二だからもちろんだけど、豆腐もおあげさんもウチのが一番おいしい、私が一番のファン」=東京都中央区、葛谷晋吾撮影

 今やコンビニの定番商品となった、片手で食べられる「豆腐バー」。開発した、食品メーカー「アサヒコ」社長の池田未央さん(52)は、かつて業界の常識を覆すキシリクリスタルのミルクミントのど飴(あめ)も手がけたヒットメーカーです。転職を重ねた模索の時期を乗り越え、巡り合った運命の「豆腐」に託す、人類の危機打開への希望とは――。

ないなら、作ろう

 古来、豆腐は「もろくやわらかく崩れやすいもの」の代名詞とされ、「豆腐にかすがい」「豆腐メンタル」と、なさけないたとえに使われてきた。

 「大豆から作る豆腐は良質で持続可能な植物性たんぱく質のかたまりなのに。ひどいよね」

 すべては9割近い水のせい。ならば水分をぎゅっと搾り、持っても崩れないほど堅固な豆腐は作れないかな? バー状なら仕事中も片手で食べられるし、いろんな味があれば栄養満点の飽きない軽食になる――。

 「発想を膨らますにつれ、これ絶対食べたい!と思うようになった。ないなら、作ろう。私には自然な成り行きでした」

 その一念が、忙しい現代人の隠れた需要を掘り起こした。創業およそ半世紀の豆腐メーカーが作った「豆腐バー」は、2020年11月の発売から今年2月までに出荷累計8400万本を突破。売上高が過去最高を記録した23年、マーケティング本部長から一躍、社長に就任した。

 出身は愛知県豊田市。自動車のエンジニアだが、実は料理人志望だった父は創作料理が得意で漫画「美味(おい)しんぼ」に登場する美食家の「海原雄山のような人」という。「材料の組み合わせ、調理法。食の限界は、既成の常識を超えて非常識に挑戦することで突破できる。欲しい味がなければ作ればいい。幼いころから、舌でそう学んできた」

のど飴が大ヒットも転職、アサヒコへ

 東京農業大卒業後、就職した食品会社で能力はさっそく花開く。初仕事はのど飴(あめ)の新商品開発。職場でも喫煙可能な時代で、副流煙によるのどの痛みは「我がこと」だったが、「当時ののど飴は苦くて辛いものばかり。甘くおいしい飴で、つらさに耐える心もいやしたかったのに」。

 ないのなら、作りましょう。できたのが、業界の常識を覆すスーッと冷たいミルク味で大ヒットした現在の「キシリクリスタルミルクミントのど飴」だ。業績にも大いに貢献、なのに悲しき宮仕え。異動で開発から外れると仕事が楽しめず39歳で退職、新天地を探したが世の中そう甘くない。転職を重ね、強いはずのメンタルももろい「豆腐」に陥る寸前、46歳でアサヒコに出会った。

 2050年代には世界人口が100億人に達し、動物性たんぱく不足が危惧される。「大豆原料なら宗教や食習慣を問わず各国好みに調味も自在。近い将来、豆腐はきっと世界を救う」。無重力で筋力維持のため良質で効率のよいたんぱく質摂取が重要な「宇宙にも最適」と、昨年は宇宙がテーマの在日米大使館のパーティーに豆腐バーを提供。「来賓の方々が手に取り、『これはなに、イケるね』と言ってくれた。大成功、手応え十分」。狙うは宇宙食への採用だ。

 豆腐とは「やわらかくもかたくもなれる可能性のかたまり」の代名詞。豆腐バーが世界に宇宙に広がって、そう言われる未来がくればいい。そんな野望を胸に秘め、折れず崩れぬ「シン・豆腐メンタル」で走り続ける。

記事後半では、池田さんとの一問一答やアサヒコの社員たちから見た池田さんの姿をお伝えします。

やっぱり、自分の手で商品を生み出す仕事が好き

 ――未知の味を創造する舌はお父様に鍛えられたのですね。

 週末の朝「今夜はつくるぞ」…

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