Smiley face
自宅の庭で。着ているのは愛用のコムデギャルソンのドレス

 高田賢三さん、三宅一生さん、川久保玲さん、山本耀司さん……。この方たちがいなかったら、私はファッションの世界には入らなかった。日本の才能が世界の舞台へ飛躍した時代を、伴走してきました。

 服飾評論家・深井晃子さんが半生を振り返る連載「モードの波にのって」。全4回の初回です。(2024年5~6月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)

 《2020年に高田さん、22年に三宅さんと、世界的デザイナーの訃報(ふほう)が相次いだ》

 デザイナーが一人で服作りを動かす時代は本当に終わったのだと感じます。今は、大衆に受けるデザインをチームで考える時代になりました。

 1970年代初めのパリで見た賢三さんのショーは、かっこよくて楽しくて、衝撃的でした。オートクチュール(高級仕立て服)の時代から、皆が買って着られる既製服へと発展していった時期。デザイナーが、個性を発揮して独自の創造性を打ち出す。そんな時代を象徴していたのが賢三さんでした。

 一生さんは、ヨーロッパの美意識やルールとは違う革新的な服作りで、ヨーロッパが中心だったファッションの軸を変えた。そこに川久保さんや耀司さんも登場し……。ファッションにエネルギーが押し寄せた時代、私はその波にのった普通の人。サーフィンの大きな波にのったみたいに、わくわく、どきどきして、気持ちよかった!

 《ファッションの最前線を見つめながら、研究、評論、展覧会企画、教育者……と多岐にわたる活動を続けてきた》

 ファッションとは、時代や社会と密接につながっている文化なのです。立派な木は、良い土壌がなければ育たない。突出したデザイナーが輩出するだけではだめなんです。ファッションを文化として客観的にとらえることで、その土壌を作ることができる。そう信じてきました。振り返ると、よくも駆けずり回ってきたものだと思います。

母の勧めた医学部、出願後に反旗

 《1943年、岡山県高梁町(現・高梁市)に生まれた》

 母の実家は造り酒屋で、私も10歳ごろまでそこで暮らしました。父は海軍の元軍人で酒屋を手伝い、母は専業主婦でした。杜氏(とうじ)さんら人が大勢いて、にぎやかでした。酒蔵の中で遊び、よくしかられていましたよ。

 親戚の家に行っても本をじー…

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