【連載】最後の空襲#3
たった1個の赤い丸が、教科書に載っていた。
それは、爆弾の破片に貫かれ、死亡したことを伝える丸だった。
1945年8月14日深夜から、旧日本石油秋田製油所(秋田市土崎地区)への爆撃が始まった。
米軍は製油所を標的にしたが、住宅街にも爆弾は落ちた。
米国が戦後に作成した資料には、100ポンドと250ポンドの爆弾を選んだとある。
飛び散った鋭い破片が、地上の人々を殺傷した。
その一つは国民学校初等科6年生の男の子の右脇腹を貫通した。5センチほどの穴の開いた茶色の学童服が今も残されている。
つぎはぎが目立ち、当時の窮状も物語る。
これが赤い丸、土崎空襲だ。
【初回から読む】届かなかった暗号「ユタ」 米文書に残る爆撃の理由
1945年8月15日。降伏が決まっていたのに、失われた命がありました。当時の子どもたちは、何を見たのか。人々は空襲をどう伝えてきたのか。全4回の3回目です。
語り部の一人、伊藤津紀子さ…