民主化の道を歩み始めていたミャンマーで、国軍がクーデターで実権を握って4年余。民主派が武装闘争を続ける中、大地震が襲った。ミャンマーはどこへ向かうのか。今、人々の思いは――。外交官としてこの国に長く関わり、クーデターを経験した前駐ミャンマー日本大使、丸山市郎さん(71)に聞いた。
――ミャンマーで3月、大地震が起きました。クーデター後の混乱や内戦で300万人超が家を追われる中での災害です。
「クーデターで政治も経済もガタガタになって、生きるのに必死な時の災害です。ミャンマーの人たちは絶望していると思います。日本で災害が発生すると政府が様々な支援をしますが、今のミャンマーにそういった支援はなく、自分たちで生き抜くしかありません。立ち上がれなくなるほどの出来事だと思います」
――国軍の支配に抵抗してきた民主派勢力への影響も大きいでしょうか。
「状況をみる必要がありますが、民主派を支えてきた多くの国民が命の危険に直面しているわけですから、非常に困難な状況だと思います。一方の国軍は財政を握り、外国の支援も最初に受け取るのも国軍です。民主派と置かれている状況は圧倒的に違うでしょう」
「地震があり民主派側が停戦を発表した後、国軍はようやく20日間の停戦を宣言しました。ただ、国軍が攻撃の手を緩めるとは到底思えない。むしろ地震直後から各地を空爆しているのを見ても、そうした動きを強めるのは確実だと思います」
――昨年9月に大使を離任するまで、長年、日本のミャンマー外交に関わってきました。
「長くミャンマーを見てきましたが、大使として6年半在任した時期に、ミャンマーの重たい現実を見せつけられたという思いです。あの国が軍事政権から抜け出し、民主的な国になっていくのがどれほど大変なのかを実感させられました」
〈1948年、ミャンマーは英国から独立。その後、国軍トップだったネウィンによる独裁体制は26年続いた。88年の民主化運動で崩壊したが、クーデターにより軍事政権に。2011年にテインセイン政権が発足し民政復帰。アウンサンスーチー氏率いる「国民民主連盟(NLD)」が16年から21年のクーデターまで政権に就いた〉
1、2週間に1度会ったスーチーさん
――ミャンマーとの関わりが始まったきっかけは?
「専門職として外務省に入り、1979年にミャンマー留学をして言葉をゼロから学びました。当時はネウィン政権末期で、この国はずっと軍事政権で民主化することはないのだろうと思っていました。ミャンマーの人たちも、『自分たちの世代で民主的な国になることを目にすることはないだろう』と言っていました」
「しかし、テインセイン政権ができて、国が動き出した。アウンサンスーチーさんが国会議員となり、日系企業もどんどん進出して優秀な学生をリクルートしました。若い人たちの目の輝きが変わりました。職業の選択肢が多いという彼らにとって初めての経験でした」
――スーチーさんとの出会いはどのようだったのですか。
「最初は95年に自宅軟禁が解かれたスーチーさんと、大使に同行して面会しました。その後、彼女から定期的に日本大使館とコンタクトを取りたいと求めがあり、1、2週間に1回、私が出向くようになりました。非常に賢い方で、メモを取らなくても話の内容を完全に記憶され、ミャンマーの民主化への信念については何があっても決してぶれなかったことが印象に残っています」
――スーチーさんとのつながりの一方で、丸山さんは軍とのパイプもありました。
「以前の軍政下では、日本は民主派と軍の双方と付き合っていたと語られますが、現場にいた1人として、確かにその実感がありました」
「例えば、軍情報局幹部と私はスーチーさんについて話し合ったこともあります。自宅軟禁のスーチーさんを釈放すべきだと言うと、『自分たちも考えないといけない問題だ』と、真っ向から拒否しなかった。私は当時、ミャンマーのためにはスーチーさんと国軍が何らかの形で組んでいければいいだろうという思いがあり、その気持ちで両方と会っていました。スーチーさんも軍も、私が双方と付き合っているのは承知の上で会っていた。軍政下の閣僚たちは相当の裁量が与えられていて、我々は経済や内政について議論ができました。我々としても、当時の軍事政権はミャンマーの問題を議論できる相手と考えていました」
「しかし、21年のクーデターを起こした現在の軍事政権は、全く違います。全権がミンアウンフライン軍最高司令官に集中している。民政復帰で手にした経済も若者の職業の自由も、すべて崩れてしまいました」
予想外だったクーデター
〈21年2月1日、国軍はクーデターにより事実上の政権トップのスーチー氏らを拘束、全権を握った。反発した市民のデモを国軍が弾圧したことを機に、市民の一部が武装化、武力衝突が各地で始まった〉
なぜ国軍は21年にクーデターを起こしたのか。スーチー氏に対する軍の処遇や、軍政に対し日本外交が「沈黙」しているという批判への思いは。クーデターに直面した前駐ミャンマー大使として、丸山さんが語ります。そして、ミャンマーの若者の命をつなぐために始めたこととは。
――国軍はなぜクーデターを起こしたのでしょうか。
「国軍は過去にNLDが参加…