自動車大手のスズキを40年以上にわたって率いた鈴木修さんが亡くなった。94歳だった。強烈な個性で貫いた現場主義は、日本の製造業の象徴でもあった。
歯にきぬ着せぬ、とは、彼の使うような言葉を指すのだろう。税制改正で軽自動車への増税が取りざたされた2013年の年末。スズキの会長兼社長だった鈴木さんは、「弱いものいじめだ」「(軽は)貧乏人が乗る車だ」と訴え、業界内をまとめていった。
大企業のトップを長年務めながら、工場の蛍光灯1本の無駄にまで目を光らせた。「ケチケチ経営」だと揶揄(やゆ)されても気にしない。「俺は中小企業のおやじだ」と、開き直った。
旧海軍から復員後は銀行員となった。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘と結婚し、鈴木自動車工業(現スズキ)に入社した。1978年、48歳で社長に就いた。翌79年に47万円で売り出した軽自動車の「アルト」が大ヒット。スズキが飛躍するきっかけをつくった。
スローガンは「小少軽短美」
「ゲタ代わり」だと説く軽自…