インドから逆輸入する小型ハッチバック車「バレーノ」の紹介に熱弁を振るうスズキの鈴木修会長(当時)=2016年3月9日、東京都新宿区

 自動車大手のスズキを40年以上にわたって率いた鈴木修さんが亡くなった。94歳だった。強烈な個性で貫いた現場主義は、日本の製造業の象徴でもあった。

 歯にきぬ着せぬ、とは、彼の使うような言葉を指すのだろう。税制改正で軽自動車への増税が取りざたされた2013年の年末。スズキの会長兼社長だった鈴木さんは、「弱いものいじめだ」「(軽は)貧乏人が乗る車だ」と訴え、業界内をまとめていった。

 大企業のトップを長年務めながら、工場の蛍光灯1本の無駄にまで目を光らせた。「ケチケチ経営」だと揶揄(やゆ)されても気にしない。「俺は中小企業のおやじだ」と、開き直った。

 旧海軍から復員後は銀行員となった。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘と結婚し、鈴木自動車工業(現スズキ)に入社した。1978年、48歳で社長に就いた。翌79年に47万円で売り出した軽自動車の「アルト」が大ヒット。スズキが飛躍するきっかけをつくった。

スローガンは「小少軽短美」

 「ゲタ代わり」だと説く軽自…

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