沖縄県営平和祈念公園に立つ清水藤子さん=2024年3月、沖縄県糸満市、浜田哲二さん提供
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 夫は北海道兵の沖縄戦を取材し、全267回の連載にまとめた。それから60年、今も分厚い新聞スクラップが、兵士たちの墓碑銘の塊に見える。妻の清水藤子さん(79)=北海道月形町=はそう語る。

 夫・幸一さんが北海タイムスで連載「あゝ沖縄」を始めたのは1964年4月1日だった。延べ1835人の兵士や民間人らが登場し、そのほとんどが死ぬ。

 沖縄県によると、太平洋戦争末期の沖縄戦で死亡した北海道出身者は1万807人。約12万人が犠牲となった沖縄県に次いで、都道府県別で2番目に多い。3番目の福岡県は約4千人だ。

 沖縄県平和祈念資料館などによると、沖縄で戦った日本軍第32軍の主力である第24師団に北海道出身者が多かったことが背景にある。1939年に満州で編成された第24師団だったが、兵員補充は第7師団(旭川)によって担われた。44年に沖縄に移動。45年4月1日、米軍の沖縄本島上陸を迎えた。

 連載時は敗戦からまだ19年。帰還したことに自責の念を感じ、口を閉ざす人も多かった。幸一さんは、全道を訪ね歩き、手記の収集や証言を収集。「パスポート」を取得し、72年の本土復帰前の沖縄にも渡航し、関係者を訪ね歩いた。

《やがて平和な時がきたら、雪の降る北海道へ一緒にいくべよ》

 連載は一人で執筆した。

 《半田は、穴の中でうつぶせ…

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