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「十二宮・無名の射手」 挿絵・風間サチコ  現代社会をイメージした作品を毎月掲載します。

論壇時評 宇野重規・政治学者

 年末といえば、一年を振り返り、翌年を展望するのが「お約束」だ。とはいえ、政治不安が語られた2024年は、12月になっても韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が出した「非常戒厳」をめぐる混乱があったように、最後まで何が起きるかわからない。まして2025年について語るのは至難の業である。未来があまりに不確実なとき、人は過去を参照する。今月の雑誌には、独特の時間軸において2025年を論じる企画が目立った。

 まずは「昭和100年」である。間違えば昭和ノスタルジーになりかねないが、うまくすれば、今を照射する視座ともなる。戦時下日本の意外に「明るかった」世相を描きつつ、「『昭和』が100年続いていると考えると、今は戦争の時代の延長線上にある」と指摘する日本政治外交史の井上寿一の論考が興味深い(❶)。「戦後80年」か「昭和100年」かで、今を捉える想像力は違ってくる。

1995年の意味 ありえたもう一つの歴史

 「1995年」に着目する特集もあった。阪神・淡路大震災があり、地下鉄サリン事件が起きたのがこの年である。思えば日本社会にとって大きな転換点であった。政治で言えば、社会党の村山富市を首相とする連立政権の時代でもある。国際政治史の宮城大蔵は、55年体制の終焉(しゅうえん)を、1993年の細川護熙政権の誕生ではなく、95年の社会党の急激な衰退と実質的な消滅に見出(みいだ)す(❷)。

 この年、「護憲平和」を党是とした社会党の首相として、村山は戦争や植民地支配について「心からのお詫(わ)び」を表明する談話を発表した。その一方、自衛隊や日米安保の全面的容認は、湾岸戦争時のPKO(平和維持活動)をめぐる「四党合意」に失敗した社会党の、前途の展望なき転換であった。このように論じる宮城は、「社会党的なるもの」が内外の環境変化を受け止めて自己変革を実現した、ありえたもう一つの歴史を想像する。これからも95年の意味を考え続ける必要があるだろう。

2008年の経済危機 新興国依存から専制へ

 国際政治の中西寛は、リーマン危機を画期とする「2008年」を強調する(❸)。金融危機によって世界経済恐慌の恐怖に見舞われた西側諸国は、経済危機の克服を優先し、中国やロシアなどの体制問題に目をつぶった。新興国に依存し、非伝統的な金融政策にまで手を染めたことが、中ロの専制体制の強化と攻撃性の助長、国内政治の分断と反グローバル勢力の増大という形ではねかえってきている。アメリカを中核とする戦後体制は、米国民がトランプ政権を明確に選択した24年、いよいよ「終わりの終わり」を迎えた。そのような世界に向き合う精神的準備が日本にあるのだろうか。

 より長期的な時間軸において…

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