13年前、中学生で主要な歌謡曲の新人賞を数々受賞した臼沢岬さん(26)が、休業期間を経て再出発し、8日、故郷の岩手県大槌町で9年ぶりにステージに立った。しかし、披露したのは、東日本大震災の被災者をいやした当時の曲ではなく、最近の自作曲だった。この間、彼女に何があったのか。
2万人が詰めかけた「岩手大槌サーモン祭り」。特設ステージに黒いワンピース姿の臼沢さんが立つと、200人ほどの聴衆が囲んだ。顔見知りも多い。
「今、『AFTER(アフター) I(アイ) DIE(ダイ)』(私がいなくなった後)という名で活動しています」。世代を問わず、流行を追わず、ずっと残る普遍的な歌を届けたいという由来だ。短い自己紹介の後、自らパソコンを操作して流したカラオケで、7曲歌った。岩手の民謡「外山節」以外はすべて自作曲。アンコールの拍手が起き、昔の歌をリクエストする声が飛んでも、応じなかった。
「全部が全部、復興を願うために歌っているわけでは…」
歌との出会いは民謡だった。泣き虫だった8歳の時、近所のおじさんに「ちびまる子ちゃんの歌を歌いに行こう」とだまされて民謡同好会に連れていかれ、年上の子どもたちの歌声に圧倒され、のめりこんだ。11歳で民謡の全国大会に出て小学生の部で優勝。芸能関係者の目にとまり、東日本大震災翌年の2012年に13歳でデビュー。古里をテーマにした曲が大ヒットして、いくつもの新人賞に輝いた。
高校卒業まで芸能活動を続けたが、千葉県の大学進学を機に休業した。「名目は休業だったが、自分の中では終結だった」と振り返る。
民謡を習っていた頃あんなに…