第28回全国中等学校優勝野球大会で、スタンドで歓声をあげる浪華商の応援団=1946年8月21日、西宮球場

(5日、第107回全国高校野球選手権大会第1日)

 開会式の入場行進で、大体大浪商(大阪)の主将、安田智樹さんが先導役を務めた。戦後初めて開催された第28回大会(1946年)で優勝したのが、大体大浪商(当時の校名は浪華商)。戦後80年。平和への願いを込めて、先導役に選ばれた。

 夏の選手権大会は41年7月、すでに第27回の地方大会が始まっていた中、文部省(当時)の通達で中断され、45年まで開催できなかった。

 再開した46年は、阪神甲子園球場が米軍に接収されていたため、西宮球場で開かれた。日本全体が食料に困窮し、出場校は米を持ち寄り、海に近い学校は魚の干物など海産物を、山の学校はヒエ、イモなどを持参した。

 浪華商などを除き、10校以上が兵庫県西宮市の関西学院寮で共同炊事をした。試合中に出場校の宿舎から食料が盗まれる事件も起きた。

 そんな不安定な社会情勢の中でも、球場には4万人超の観客が集まった。観戦していた米国人が「日本の大衆がこんなに楽しく笑う姿をはじめて見た」と感想を述べたという記録が残っている。

 選手たちのはつらつとしたプレーに、多くの人が心を打たれる。その光景は今も変わらない。改めて、笑顔があふれることのありがたみをかみしめたい。

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