たびたび投手に駆け寄った天理の石井翔太

 (24日、春季近畿地区高校野球大会1回戦、智弁和歌山7―3天理)

 選抜準優勝校との一戦に、天理の捕手、石井翔太(3年)は甲子園での悔しさをぶつけるつもりで臨んでいた。

 それだけに、計12四死球を与えての敗戦に「ピッチャーの良さを引き出せなかった」と肩を落とした。

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 3月の選抜大会では、山梨学院との1回戦に先発出場。だが、三回に左目付近に死球を受けた。担架に乗せられて下がったベンチ裏で、周囲に真っ先にこう伝えた。

 「どうなってもいいので、ベンチに戻らせて下さい」

 許可をもらった上で、腫れて前が見えない左目を冷やしながら応援した。試合は逆転されて1―5で敗れた。

 「すごく、悔しい試合だった」

 骨や視力に異常はなく、春の奈良県大会は全試合で先発マスクをかぶった。多彩な投手陣をリードし、全5試合で無失点。ノーヒットノーラン(無安打無得点試合)も記録した。「無駄な失点をしない」ことを掲げるチームにとって、これ以上ない結果だった。

 背景には、積み重ねてきたものがある。

 藤原忠理監督は同校の捕手出身で、社会人でもプレー。天理大監督時代はリーグ6連覇を達成した名将。石井はそんな藤原監督から配球術を学び、「少しだけ分かってきたような気がする」。

 この日の試合に向けては、選抜大会の動画を見あさった。

 「ご飯を早く食べて、野球のことだけを考えている」

 打者別に苦手なゾーンや球種を見定め、どう打ち取るかをノートにびっしり書いた。

 それでも、「相手の圧か分からないけど、押された」。智弁和歌山を相手に5投手が次々と制球を乱し、何度もマウンドへ。コールド負けが迫った6点差の七回1死満塁では、「迷わず俺を信じろ」。上位打線を打ち取り、以降は無安打に抑えて九回まで戦い抜いた。

 「実績ある相手にこそ『0』を並べたかった。これだと県大会の0がたまたまになる」。試合後は厳しい表情を見せながら、「もっと投手に試合前からイメージをつけさせるべきだった」。改善点はすでに見つけていた。

 石井の原動力は、夏に甲子園へ戻ること。まだ、甲子園で1スイングもできていない。「後悔を取り返しに、なんとか甲子園に行って、一つでも多く勝ちたい」。

 夏への準備は、すでに始まっている。

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