2010年2月、台湾で実施された遺伝子治療に協力した自治医大の村松慎一客員教授(左から2人目)=本人提供

現場へ! 医学研究 日本の実相(3)

 世界初の遺伝子治療は、米国立衛生研究所(NIH)で生まれつき特定の酵素がないために免疫不全になった子どもに対して、1990年に実施された。

 4年後、小野寺雅史・大阪大特任教授(66)はNIHに留学した。

 当時、母校の北海道大で、同じ病気の子どもに国内初の遺伝子治療の準備を進めていた。手順の詳細は経験した人でないとわからないことも多い。血液からリンパ球を分離する方法や、遺伝子を運ぶウイルスベクターを入れて何時間おくかといったノウハウを小野寺さんは経験者に尋ねた。電子メールはまだ普及しておらず、図入りのファクスを毎日のように北大に送った。

 クリーンルームや専用装置もなく、北大病院の一角を仕切り、実験台を設置した。

 「今では考えられない。でも、世界中、似たような状況だった。見よう見まね、手探りで進めていた」と小野寺さんは振り返る。

 95年8月1日、国内初の遺伝子治療が始まった。当時の朝日新聞は「『生命の設計図』に人の手 北大で日本初の遺伝子治療開始」という見出しで伝えた。

 当時は、ヒトゲノム解析の途上で、病気の原因となる遺伝子変異が次々と発見されていた。そしてついに遺伝子を治療する時代がきたと世界中が期待した。

「冬の時代」に後れとった日本

 ところが、99年米国で遺伝…

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