大分県竹田市で法律事務所を営んでいる弁護士の利光宏司さん(50)。
熊本市で生まれ育ったが、大分には何かと縁があった。
両親が大分出身で、利光さんは大分大学に進学。司法修習先も大分だった。
竹田に事務所を開いた理由は、当時、弁護士が1人しかいない地区だったからだ。
そんな利光さんのもとに2023年夏、1通のメールが届いた。
送り主は、熊本高校で3年生だった時の担任・草野美智子さん。
「遺言の作成や死後の後始末って、誰に頼んだらいいの? 熊本で誰か引き受けてくれる人はいるかな?」
国語教師として県内の公立校で教壇に立ってきた草野さん。
熊本高専でリベラルアーツ系人文グループの教授になり、22年3月に退職していた。
メールを送ってきた時は66歳で、退職して1年半ほどしか経っていない。
「さすがにまだ終活は早いでしょ」と思いつつ、直接会って話をするべく、草野さんが住む熊本市へ向かった。
対面すると、思いがけない理由を聞かされた。
「末期の胆管がんと診断されたの。余命1年だって」
淡々と話す草野さんに自覚症状はなく、はた目にも元気そうだった。
セカンドオピニオンや最新の治療などを勧めたが、「いいの。受け入れることに決めたから」の一点張り。
現役時代から、決めたことは曲げない性格だった。
治療はせず、痛みに耐えられなくなったら、緩和ケア病棟に入ると決めているそうだ。
夫や子ども、両親や兄弟姉妹もいない。
死後、周囲に迷惑がかからないように段取りをつけ、遺産については寄付を検討しているという。
「他に優秀な教え子はいるはずなのに、先生は俺に相談してくれたんだよなぁ」
大分へ帰りながら、そんなことを考えていた。
直接頼まれたわけではないが、先生は自分が引き受けることを望んでいるのかもしれない。
でも、熊本と竹田は距離が離れているし、妻が第4子を妊娠中だ。
先生はそのあたりを気にして、直接言わなかったのかもしれない。
「やっぱり、俺がやるべきかな?」
弁護士でもある妻に相談すると、賛同してくれた。
会った翌々日に「俺がやりますよ」とメールを送ると、「よろしく」と返信があった。
「劣等生」と「自分を貫く先生」
高校時代の利光さんは「死後の世界の住民」だった。
当時、同学年の約500人のうち成績が450番以下の生徒たちを、45(死後)の語呂合わせで呼んでいたのだ。
利光さんは「勉強するのは格好悪い」と、応援団部に入ったり、ギターを弾いたりしていた。
そんな「劣等生」も見捨てなかったのが草野先生だ。
放課後に特別授業をしてくれたり、ギターのライブ会場に足を運んでくれたり。
授業内容のことはほとんど覚えていないが、「自分を貫く先生」というイメージがあった。
高校を卒業してから、先生とは20年以上連絡をとっていなかった。
浪人生活を経て大学生になり、国家公務員として働いた後、法科大学院で学んで司法試験に合格。
弁護士になってから久しぶりに同窓会に参加し、先生と再会した。
それから年賀状を交わすようになり、熊本に行くたびに飲みに連れて行かれた。
行く店はあらかじめ先生が予約し、キュッと日本酒を飲んで早々に解散。
会計の時も「教え子には払わせない」と、毎回おごってくれた。
そんな先生だから「終活のことはタダで引き受けますよ」と言ったら、間違いなく怒られる。
だからこそ、弁護士の仕事として引き受けた。
遺産の使い道は
まず取りかかったのは、本当に相続人がいないかの戸籍確認。
そして、遺産がどれくらいあるのかを調べた。
額が大きかったのは預金と…