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発掘された石棺。右側に枕のような泥の塊があったほか、右側の方が幅が広く、傾斜もわずかに高いことから、右が頭側だったと推測されるという=2024年7月5日午後3時51分、佐賀県の吉野ケ里歴史公園、渕沢貴子撮影
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 ひょっとして卑弥呼の墓なのか――。昨年、佐賀県の吉野ケ里遺跡で見つかり、古代史ファンの注目を集めていた邪馬台国時代と重なるとみられる石棺墓をめぐり、県は5日、調査結果を発表した。

 石棺墓は、昨年の調査で人骨や副葬品は見つからず、県は石棺内の土の成分を調べていた。その結果、人や動物の骨の成分であるリン酸を検出したとし、当初の「2世紀後半から3世紀中ごろの邪馬台国時代の有力者の墓」との判断を補強する材料になった、という。ただ、埋葬されたとみられる人物の性別などの調査には至らなかったという。

 石棺墓周辺の炭化米などの炭素年代測定をしたところ、石棺墓内の底の土は1950年を基準に1960年前(前後20年)の弥生中期、石棺墓の下の土は同2470年前(前後20年)の弥生前期とわかったという。一方、石棺墓は邪馬台国があったとされる時代とも重なる弥生時代後期に多くみられる形式で、県は邪馬台国時代の可能性が高いとの見方は変えなかった。

 この日は、石棺墓の正確な大きさも発表された。内寸181センチ、幅は広いところで40センチ、深いところで26センチという。

 また、昨年の調査で大きな石…

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