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第79回大会、2年生だった古木克明さんは1回戦の九回、右越えに同点の2点本塁打を放つ=1997年8月12日、阪神甲子園球場
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 人生の荒波をサーフィンのように乗り越えてきた。自らを「baseballsurfer(ベースボール・サーファー)」と呼び、野球の楽しさを子どもたちに伝える元プロ野球選手がいる。

 古木克明さん(44)。豊田大谷高(愛知)時代から注目を浴び、2年と3年夏の2回、甲子園大会に出場。甲子園での3本を含め、高校通算で52本塁打を放った。

 3年の夏の第80回全国選手権記念大会(1998年)では東愛知代表として出場し、ベスト4に進んだ。甲子園春夏連覇を果たした横浜(東神奈川代表)のエース・松坂大輔さん(44)らとともに「松坂世代」の一人として、全国的に注目された。

 98年秋のドラフトで横浜ベイスターズ(当時)から1位指名を受けた。

 プロ野球の世界は、憧れだった。でも、しんどくて仕方がなかった。

 三重県松阪市で生まれ育った。9人そろわない中で、軟らかい庭球ボールを使い、自分たちで編み出したルールで野球遊びをするのが好きだった。

野球嫌いの原点は小学生

 小学生のとき、リトルリーグと学校のソフトボールチームを掛け持ちした。スケジュールが重なってきて、リトルリーグを選ぶと、ソフトボールではメンバーとして見てくれなくなった。野球が嫌いになった。

 もやもやした気持ちは、プロ入り後も晴れなかった。

 横浜とオリックスの2球団で…

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