1968年メキシコ五輪男子サッカーで得点王に輝き、日本の銅メダル獲得に貢献した元日本代表FWの釜本邦茂(かまもと・くにしげ)さんが10日、肺炎のため死去した。81歳だった。通夜、告別式は近親者のみで営み、後日「お別れの会」を予定している。
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京都市出身。京都・山城高から早稲田大に進み、19歳だった64年2月に日本代表デビュー。同年の東京五輪に出場した。67年、Jリーグの基盤となった旧日本サッカーリーグのヤンマーディーゼルに入団した。
体の強さを生かしたシュート力が抜群だった。メキシコ五輪では7得点を挙げ、日本の銅メダル獲得に貢献。日本男子サッカー史上、唯一のメダルだ。日本代表としては77年までに国際Aマッチで日本選手最多の計75得点を決めたほか、旧日本リーグでも84年に現役引退するまで最多の202ゴールを記録し、7度の得点王に輝いた。
引退後はJリーグ・ガンバ大阪の監督を経て、95年に参院議員に初当選。2000年には労働総括政務次官を務め、01年の参議院選に落選して政界から退いた。ワールドカップ(W杯)の日本組織委員会理事、強化推進本部長を務め、02年の日韓共催W杯の招致に尽力したほか、日本サッカー協会では98~02年、04~08年に副会長に就いた。05年には日本協会のサッカー殿堂入りした。