3日に亡くなった長嶋茂雄さんは2004年3月、脳梗塞(こうそく)で倒れた。それから、リハビリテーションに励む様子をテレビ番組などで公表してきた。同じ脳梗塞の患者たちは、病と向き合うその姿に勇気をもらってきた。
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「長嶋さんは、覆してくれた人なんです」。福岡市の市原礼子さん(59)は話す。脳梗塞の後遺症で、今も左半身にまひが残る。
脳梗塞「言っていいんだ」
16歳の時、脳梗塞で倒れた。リハビリを終えて戻った高校では「そんな体の人を連れて行けない」と、修学旅行の参加を断られたという。「色んな差別を受けて、障害があるって、悪いことなんだと思っていた」
長嶋さんが自分と同じ脳梗塞を発症後に、病気を公表し、リハビリに励むありのままの姿をメディアに隠さず見せているのを見て「言っていいんだ」と思えた。
現在は市身体障害者福祉協会理事も務め、小中学生向けの講演で「長嶋さんと同じ病気でね」と話すと、「わかるわかる!」と子どもたちが反応してくれる。
失意の中、眺めたテレビから
熊本市に住む荒尾信さん(67)は、数年前にテレビで見た長嶋さんが忘れられない。
再発を繰り返した脳梗塞の後遺症で歩けない状態になり、失意の中でテレビを眺めていた時だった。懸命に歩く練習をする長嶋さんの姿に「僕もがんばらなきゃと思った」。ちょうどリハビリを始めるタイミングで、「歩けるようになるんだ」と背中を押された気持ちだった。「亡くなったのは本当に残念です」と声を絞り出した。
熊本県内で脳梗塞患者に向き合う作業療法士の60代女性は「かっこいい所だけじゃない。見せたくない気持ちがあってもおかしくないようなつらい訓練も積極的に見せてくれた」と、長嶋さんの影響力の大きさを語る。「そんな姿に皆さんも勇気をもらえたんじゃないか」