五木寛之さんの寄稿「長嶋茂雄という人」
長嶋さんとは、一度だけ対談をしたことがある。
突然の訃報(ふほう)をきいて、その時のことをあらためて思いだした。
「こんど長嶋さんと対談をするんだよ」
と、周囲の人たちに言ったら、いろんな反応があった。口の悪い編集者からは、
「日本一、明るい人と、日本一、暗い人との対談ですか」
と、からかわれたりもしたが、誰もみなうらやましそうな顔をした。
私は昭和二七年に上京して大学に入った。長嶋さんは昭和二九年に立教大学に入学しているから、何年間かは神宮球場で長嶋さんの学生時代のプレイに接している。
当時はプロ野球よりも大学野球のほうが人気を集めた時代だった。アルバイトの時間をやりくりしては、サード長嶋を見に通ったものである。当時の大学野球にはスター選手が勢揃(せいぞろ)いしていたが、なんといっても圧倒的な存在感を示したのは長嶋選手だった。
プロ野球に転じたあとも、また現役を引退したのちも、常に長嶋さんは強烈な存在感を示し続けた。
ミスターと呼ばれた長嶋さんには「直感の人」という印象があった。
しかし私は「天衣無縫の明るい人」というマスコミのイメージを必ずしも信用してはいなかった。
世の中には明るいだけの人はいない。感性だけの人もいない。人は人形ではない。短い対談の時間のなかで、ほんのちょっぴりでも人間長嶋の本音をかいま見ることができたら、と、ひそかに期待していたのである。
しかし、それは作家としての私の不遜な思いあがりであったことを、対談の中で思い知らされることとなったのだ。
私はこれまでにずいぶん沢山…