セ・リーグ優勝を決め、選手たちに胴上げされる巨人の長嶋茂雄監督=1994年10月8日、ナゴヤ球場

 プロ野球・巨人で9年連続日本一の原動力になるなど、広く国民に親しまれた元巨人監督の長嶋茂雄さんが3日、亡くなった。89歳だった。「ミスタープロ野球」の訃報(ふほう)に、球界からは多くの悼む声があがった。

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 原辰徳さん(前巨人監督)

 「勝負に厳しく、人に優しく、誰からも愛される方でした。私にとって、長嶋さんは憧れで、野球というスポーツの象徴でもあり、神様のような存在でした。私の中で長嶋さんはいつも燦然(さんぜん)と輝き、選手、コーチ、監督、全ての立場で最も影響を受けました。残念ですが、現実を受け止めるしかありません」

 江川卓さん(元巨人投手)

 「あこがれの長嶋さんを目指してプロ野球選手になった。最初の監督が長嶋さんで、大変温かく、厳しく育ててもらった。時々、食事をする機会があり、またお会いしたいと思っていたので、とても残念」

 張本勲さん(元巨人選手) 

 「自分の体の一部を取られたような思いだ。本当に残念でならない。お互いの家が歩いて5分ほどと近く、多摩川の河川敷を朝、一緒によく散歩した。長嶋さんは本当に純粋な野球人だった。芯は強いが優しく、柔らかく、人の悪口を絶対に言わない人」

 高田繁・DeNAフェロー(元巨人選手)

 「一番の思い出は長嶋さんの発案で自分が三塁手にコンバートした時のことです。それまで一度もやったことがないポジションへのコンバートは、誰もが思いつくものではないと思います。新しいチャレンジを長嶋さんとともにできたことがうれしかったです。長嶋さんは常に前向きに、野球を楽しもう、そしてファンファーストの精神でお客さんを喜ばせようということを考えられていた人でした。これは今のプロ野球選手にも通ずる、必要な姿勢だと思います。」

 井端弘和・野球日本代表(侍ジャパン)監督

 「アテネ五輪予選で長嶋監督の下でプレーさせていただき、ジャイアンツに移籍した際も、非常に気にかけてくださいました。代表監督に就任した際も、激励の電話を下さったお言葉は今でも胸に刻んでいます。長嶋監督が築いてくださった日本の野球を、しっかり受け継いで再び世界一を目指します」

 坂本勇人(巨人)

 「今朝話を聞いてとても驚きました。一昨年、僕が不調の時に東京ドームまで来てくださってスイングルームでスイングを見ていただいたり、『お前はいつまでもジャイアンツのリーダーでいなきゃいけない』と言っていただいたことが心に残っています。これまでの巨人軍をずっと支えてくださった大先輩なので、なんとかその期待に応えられるようにまだまだやって行かなきゃいけないなと改めて思いました」

 岡本和真(巨人)

 「悲しみで胸がいっぱいです。常に私たち選手のことを一番に考え、応援してくれていました。巨人への愛が誰よりも強く、野球に対する情熱を持った方でした。昨年、私が打撃で迷っている時期に、病室に呼んでいただき、直接指導していただきました。これからの野球人生において、忘れることのない大切な時間になりました」

 仁志敏久・西武1軍野手チーフ兼打撃コーチ

 「突然のことでショックだった。長嶋さんが監督じゃなかったら、使われていなかったかもしれない。僕の打撃は荒っぽい部分も多かったが、そういう打撃も楽しんでくれて1番に入れてくれた。たくさん我慢して使ってくれたし、期待もたくさんしてくれた親のような存在。いつもランニングをされて、『俺は現役の時と体重が同じなんだ』とおっしゃっていた。見た目にいつまでもこだわっていたのを、僕も参考にさせてもらっています」

 宮本慎也さん(元ヤクルト選手)

 「アテネ五輪では同じチームで戦わせていただきました。ご病気で倒れ、本戦では一緒に戦うことは出来ませんでしたが、私を全日本のキャプテンに任命していただきました。当時は重圧で喜べるものではありませんでしたが、今では私の財産として残っています」

 栗山英樹・日本ハムチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)

 「(2023年の)WBCの時に授かったメッセージは、強く記憶に残っています。『野球というスポーツがこれから先も長く続くように、一生懸命やってください』と託されました。続けて『高校野球をとにかく守りなさい』ともおっしゃっていました。その時に野球界のことをすごく心配されている、という長嶋さんの思いを知ることができました。我々、野球人がこれから一番大切にしないといけない野球の原点が高校野球であることを、再認識できました。長嶋さんのその思いのお陰でWBCも優勝できたと思っています。本当に残念で悔しいですが、長嶋さんの思いを少しでも体現できるように我々はこれからも全力を尽くしていきます。長嶋さんへの感謝は一生忘れません。野球人は皆、その思いです」

 藤川球児・阪神監督

 「子どもの時に、野球の練習が終わったらできるだけ早く家に帰って、(長嶋さんが監督だった)巨人の試合を見ていました。太陽のような存在である長嶋さん率いる巨人、負けても負けても立ち上がるタイガースという意味で、18歳から教わってきたものを、監督としてジャイアンツにぶつかっていくんだと心に秘めながら日々戦っています。それが、先輩方が作ってきたプロ野球の世界に少しでも自分が貢献できることだと思って、役割を必死に全うしたいと思っています」

 新庄剛志・日本ハム監督

 「突然の訃報(ふほう)に驚いていますし、非常に悲しく残念な思いです。長嶋さんは野球界のレジェンドであり、野球の愉(たの)しさや醍醐味(だいごみ)を多くのファンに伝えてくださった方だと思います。長嶋さんのプレーや言葉をみても、とてもファンを大事にされている印象でした」

 新井貴浩・広島監督

 「プロ野球の象徴のような方でしたので、すごく悲しいです。私が2年目ぐらいのとき、キャンプに日南にまでわざわざ来ていただいて、守備を教えていただいた。そのときにすごく緊張していたのを覚えています。『バッと捕って、ビュッと投げる』。あとはずっと緊張していました。同じグラウンドに立って守備を教えてもらっているっていうのはなかなか信じられませんでした」。

 山本浩二さん(元広島監督)

 「もう何と言えばいいのか……。言葉が出てこないよ。ミスターはね、わしにとってはすごく身近な人で、若いときからコーちゃん、コーちゃんと呼んでくれてね。引退後も食事やゴルフを一緒にさせてもらった。すごく絵になる人。みんなを明るくして、笑顔にさせる。そのために(キャラクラーには)演技も入っていたと思っとるよ。(現役時代は)ずっとミスターのランクにいきたい思いがあった。憧れもあったし、理想の打撃フォームでね。構えからステップして打ちに行く間の取り方とか、素晴らしかった」

 外木場義郎さん(元広島投手)

 「長嶋さんは他の打者が打てないような球を打ってくる。意外性がありました。いつだったか、後楽園で七回2死までノーヒットノーランで、外角高めの球を大根切りの打ち方で本塁打にされたのが印象深いです。対策は『打席に立った長嶋さんの顔を見るな』でした」

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