コラム「北陸六味」 長野栄俊さん(認証アーキビスト・司書)
好奇心旺盛と言えば聞こえはいいが、要は根っからの「面白がり」の性分。特に、世の中ではあまり知られていないコトやヒトについて調べては日々面白がっている。
20年近く、私の面白がり対象となってきた人物に佐々木権六(ごんろく)(1830~1916)がいる。幕末の福井藩士で、維新後は長淳(ながあつ)と名を改めて政府の役人になった人だ。
世間一般にはほぼ無名で、福井県内でも名前や業績を知っている人は、よほどの歴史好きだけだろう。この佐々木の生涯が大層面白く、これまで書籍や論文などで4、5回は取り上げてきた。
さて、佐々木の生涯を簡潔に紹介したい……ところだが、なかなか簡潔にとはいかない。藩政時代は福井藩の製造部門、維新後は新政府の殖産興業部門を担った人物ということになるが、それではあまりに味気ない。
安政4(1857)年、28歳で藩の銃器製造部門である製造方(せいぞうかた)の頭取となり、水車動力を用いるなどして西洋銃や火薬の量産を指揮。同年、西洋帆船の建造も担当することになり、2年後には16人乗り、全長20メートルの小型帆船(カッター)を独力で竣工(しゅんこう)させている(長野「幕末福井藩の洋式船と航海記」https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/bunsho/file/615616.pdf)。
また、近年では佐々木の名は自転車の歴史においても注目されている。前藩主松平春嶽の側近が記した「御用日記」文久2(1862)年2月6日条には、佐々木が江戸藩邸で「ビラスビイデ独行車(どっこうしゃ)」を組み立て、それを春嶽が試乗したとの記事が載る(西村英之「松平春嶽と自転車」)。
Velocipede(ベロシペード)とは、地面を蹴って走らせた初期の自転車または三輪車のことで、先の記事はわが国における自転車伝来の最古の記録とされる。組み立てには佐々木の機械工学の知識が生かされたはずだ。
このほか大型船の着岸を可能にする大規模築港工事にも携わった。そのための技術習得や武器購入を目的として維新前夜の慶応3(1867)年に渡米。同行者は英学修行中の下級藩士・柳本直太郎(1848~1913)ただ1人だった。同地ではジョンソン大統領とも面会して軍事施設などの視察を許され、半年後に大量の武器・図面を福井に持ち帰っている。
明治以降にもこれらに匹敵する業績は多数あるのだが、残念ながら紙幅が尽きてしまった。関心を持たれた方、佐々木のその後が気になる方は、福井県文書館で開催中の企画展示「GONROKU―〝技術官僚〟佐々木長淳の幕末維新―」(https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/bunsho/category/tenji/40465.html