萬福寺(まんぷくじ)(京都府宇治市)は、江戸時代初期に中国から渡来した隠元(いんげん)禅師が開いた。江戸幕府の4代将軍・徳川家綱と面会し、後水尾天皇の母・中和門院の別荘跡に寺領を得た。日本に滞在中も故郷を忘れないとの思いから、自身が中国で住職を務めた寺院と同じ「黄檗(おうばく)山萬福寺」という名前をつけた。
中国・明朝の仏教建築様式を取り入れた伽藍(がらん)は、焼失することなく創建当初の姿を今に伝える。隠元禅師は、インゲン豆やスイカ、レンコンといった食物、普茶(ふちゃ)料理のほか、煎茶、原稿用紙、明朝体の文字など、いまの日本に根付いた文化をもたらした。僧侶の辻岡智幸さんは「隠元禅師が伝えたテーブルは後にちゃぶ台となり、みんなで一つのテーブルを囲んで食事をする習慣が日本に広まりました」と話す。それまでの日本人は床に座って、1人に一つずつ箱膳を置いて食事をしていた。隠元禅師の来日は日本に新しい風を吹き込んだ。
JR、京阪電車の黄檗駅から東に住宅街を抜けると総門が見える。道路を挟んだ門の向かい側に隠元禅師が掘らせた龍目井(りゅうもくせい)と呼ばれる二つの井戸があり、文字どおり、龍の目を表している。中国では優れた禅僧を龍に例えることから、境内全体が龍の体を模した作りになっている。
参道は、正方形の平石をひし形に敷いて、両側を石條(せきじょう)という長細い石で挟んだ意匠で、龍の背のうろこを表す。ひし形の石の上を歩けるのは住持(じゅうじ)(住職)のみとされている。
三門をくぐると、2024年…