「動く美術館」が雨の古都を彩った。17日にあった日本三大祭りの一つ、京都・祇園祭の前祭(さきまつり)・山鉾(やまほこ)巡行。23基の山鉾は雨よけの透明なシートで覆われ、町衆らは和傘をさし、京都市中心部を巡った。人出は昨年より約4万人少ない約10万人(京都府警発表)だった。
祇園祭は平安時代の869年、神泉苑(しんせんえん)(京都市中京区)に当時の国の数と同じ66本の鉾をたて、疫病退散を願った御霊会(ごりょうえ)が始まりとされる。山鉾は、八坂神社の神輿(みこし)が町を巡る前に、町中の疫神を集めて町を清める役割があり、巡行が雨で中止されることはめったにないという。
午前9時前、山鉾連合会の木村幾次郎理事長が「青龍神水(せいりゅうしんすい)」と呼ばれる水をサカキで四条通にまき、道を清めた。八坂神社と神泉苑の水を合わせたもので、2022年に始まった行事だ。
その直後、先頭の長刀(なぎなた)鉾が「エンヤラヤー」のかけ声とともに四条烏丸を出発した。長刀鉾は1225年、祇園社(今の八坂神社)に寄進された長刀を鉾に掲げたのが始まりとされ、今年で誕生800年になる。
稚児(ちご)を務めたのは同志社小3年の久保堅斗(けんと)さん(8)。13日に八坂神社で社参の儀に臨み、神の使いになった。公の場では地面に足をつけることが許されず、強力(ごうりき)と呼ばれる男性に担がれながら鉾に上がった。
四条麩屋町で「しめ縄切り」をした。鉾から身を乗り出し、神域との結界とされるしめ縄を太刀で切った。
久保さんは「雨が気になったけど、一番の思い出はしめ縄切りです。楽しかった。100点」。父の貴裕さん(41)は「暑い日が続いたので体調管理に一番気をつかいました。頼もしかったです」と話した。
四条河原町と河原町御池の交差点では「辻回し」があった。長刀鉾のほか、菊水(きくすい)鉾や月鉾、船鉾などが車輪の下に青竹を敷き、方向転換すると歓声があがった。
山鉾は「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)が響く中、終点となる新町御池に進んだ。
鶏鉾は昨年、車輪のトラブルに見舞われ、巡行の途中で町内に引き返した。今年は車輪を修理して臨んだ。午後2時半ごろ、鉾が町会所に戻ると、大きな拍手で迎えられた。
保存会の坂本篤史代表理事は「無事に終えられるか、朝からドキドキしていた。ほんまに戻ってくることができて、よかったです」と胸をなでおろした。
山鉾連合会の木村理事長は「長い歴史の中で雨の巡行は経験があり、各山鉾も準備はできているので粛々と進んだ」。長刀鉾保存会の井上俊郎代表理事は「大きな事故もなく、誕生800年にふさわしい巡行でした」と話した。
夕方からは神幸祭(しんこうさい)が始まった。八坂神社の石段下に、祭神を遷(うつ)した神輿3基が集まった。「ホイット、ホイット」のかけ声とともに神輿が出発。氏子地域を巡り、四条寺町の御旅所(おたびしょ)をめざした。
神輿は御旅所に安置され、24日の後祭(あとまつり)・山鉾巡行の後にある還幸祭(かんこうさい)で神社に戻る。
先頭の長刀(なぎなた)鉾に続く「山一番」を8年ぶりに担った占出(うらで)山。巡行の順番がくじ通りに進んでいるか確かめる「くじ改め」が四条堺町であり、市立洛央小6年の小町優太郎さん(11)が務めた。
裃(かみしも)姿の小町さんは文箱(ふばこ)を手に、奉行役の松井孝治市長の前へ。箱に巻き付けられたひもを扇子でほどいて箱を開け、くじ札を松井市長に差し出した。その後、扇子を大きく振ると、山がゆっくりと動き出した。
小町さんが大役を果たしたのは昨年に続いて2回目。7月に入ってから毎日30分、父の崇幸さん(47)と練習した。おじぎのタイミングや腰の落とし方、文箱の持ち方など細かな所作に気をつけた。ビデオに撮って見返すこともあった。
「雨の中、文箱のひもがぬれていて扇子でほどくのが難しかった。緊張して手が震えたけれど、練習通りうまくできました」と話した。