能登に「駐在記者」としてやってきて、1年がたった。
26冊を数える取材ノートの中に、ページが波打ち、ところどころ破れ、膨らんだ1冊がある。
「能登駐在⑬ 2024.9/11~9/25」
あの日、リュックサックの中で、私の手の中で、一緒にずぶぬれになったノートだ。ぶよぶよにふやけ、ボールペンの文字がにじんでいる。ぬれて波打ったページは、乾いても元に戻らなかった。
昨年9月21日、石川県内で発生した線状降水帯が、能登半島地震で傷ついた能登北部に記録的な大雨を降らせた。
無数の土砂崩れが起き、復旧のさなかだった道路が再び断絶した。多くの集落が再び孤立した。
そして、私の目の前で、茶色い泥水にプレハブの仮設住宅群が半分ほどの高さまで沈んでいた。輪島市街地を流れる河原田川が氾濫(はんらん)していた。
《体が震えるのは寒さのせいなのか、怒りなのか、悔しさなのか。自分でもよくわからなかった》
翌週配信したこの連載「with NOTO 能登の記者ノート」にそうつづった。
仮設住宅「宅田町第2団地」は、142戸すべてが床上浸水の被害に遭った。床板や壁をはがして修繕されるまでの3カ月間、住民たちは再び避難生活を余儀なくされた。
ようやく落ち着いた仮設住宅というすみかを一瞬にして奪われた人たちは、その後、どう過ごしたのか。ある夫婦が匿名を条件に取材に応じてくれた。
避難所転々…2次避難も
豪雨前日の夜、輪島塗職人の男性(68)は「バタバタバタバタ」と激しい雨がプレハブの屋根をたたく音で寝付けなかった。
朝が来ると、1時間おきに外…