豪雨から半年。仮設住宅の前で、桜がつぼみをつけていた=2025年3月21日午後1時20分、石川県輪島市、金居達朗撮影

 能登に「駐在記者」としてやってきて、1年がたった。

 26冊を数える取材ノートの中に、ページが波打ち、ところどころ破れ、膨らんだ1冊がある。

 「能登駐在⑬ 2024.9/11~9/25」

 あの日、リュックサックの中で、私の手の中で、一緒にずぶぬれになったノートだ。ぶよぶよにふやけ、ボールペンの文字がにじんでいる。ぬれて波打ったページは、乾いても元に戻らなかった。

豪雨当日に使っていたノート(右)。リュックサックに入れていた手帳もぬれてボールペンのインクがにじんでいる

 昨年9月21日、石川県内で発生した線状降水帯が、能登半島地震で傷ついた能登北部に記録的な大雨を降らせた。

 無数の土砂崩れが起き、復旧のさなかだった道路が再び断絶した。多くの集落が再び孤立した。

 そして、私の目の前で、茶色い泥水にプレハブの仮設住宅群が半分ほどの高さまで沈んでいた。輪島市街地を流れる河原田川が氾濫(はんらん)していた。

 《体が震えるのは寒さのせいなのか、怒りなのか、悔しさなのか。自分でもよくわからなかった》

 翌週配信したこの連載「with NOTO 能登の記者ノート」にそうつづった。

 仮設住宅「宅田町第2団地」は、142戸すべてが床上浸水の被害に遭った。床板や壁をはがして修繕されるまでの3カ月間、住民たちは再び避難生活を余儀なくされた。

水につかった宅田町第2団地。被害の全容がわからない中、逃げ遅れた人はいないか、震えながらシャッターを切った=2024年9月21日午後0時33分、石川県輪島市宅田町、上田真由美撮影
豪雨から半年。宅田町第2団地は復旧し、住民たちが戻ってきている=2025年3月21日午前11時52分、石川県輪島市宅田町、上田真由美撮影

 ようやく落ち着いた仮設住宅というすみかを一瞬にして奪われた人たちは、その後、どう過ごしたのか。ある夫婦が匿名を条件に取材に応じてくれた。

避難所転々…2次避難も

 豪雨前日の夜、輪島塗職人の男性(68)は「バタバタバタバタ」と激しい雨がプレハブの屋根をたたく音で寝付けなかった。

 朝が来ると、1時間おきに外…

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