東京駅構内で開かれたイベントで。SNSなどを通して中山さんを知った人たちが「能登デスクさん」とひっきりなしに声をかけていた=2025年1月、市川美亜子撮影

 #私の愛してやまない能登

 2024年1月。能登半島地震からほどなく、JR金沢駅の観光案内所で働く中山智恵子さん(45)は輪島に住む知人からメールを受け取った。「ニュースの悲惨な映像を見るのがつらい」

 あまりの被害の大きさに、無力感に襲われていた時だった。わたしに何ができるだろう。「大好きな能登を語り合おう」とSNSで写真の投稿を呼びかけるのはどうか。3日間かけてハッシュタグを考えた。死者も行方不明者も増え続けているのに「愛」を語るなんて不謹慎ではないか。誰かを傷つけるのではないか。悩み抜いた末の発信だったが、その日のうちに予想をはるかに超える反響が寄せられた。桜のトンネルをくぐる鉄道、夜空にひしめく大輪の花火……。写真とともに家族や恋人との思い出が続々と寄せられ、モノクロの世界だったタイムラインに色彩が戻ってきた。今も続く投稿の輪になっている。

震災から12日後、初めて「#私の愛してやまない能登」をXに投稿した(スクリーンショット)

 観光案内所で能登担当になって8年。Xのフォロワーは2万人を超え、地元テレビでも「能登デスクさん」と親しまれる人気者だ。「能登デスクさんと行くツアー」は発売早々に満席になることも多い。

 だが、能登にゆかりがあった…

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