巨人の選手たちの左袖には黒い輪がデザインされていた。原辰徳監督(左)とこぶしを合わせる坂本勇人選手=2011年4月12日午後5時50分、山口県宇部市のユーピーアールスタジアム

 「ユーピーアールスタジアムって、どこだ?」。球場名が話題になったのは、2011年春だった。

 3月11日に起きた東日本大震災。この影響でプロ野球の開幕は当初の3月25日から延期された。

 改めてセ・パ両リーグの開幕日になったのは4月12日。山口県宇部市で予定されていた、巨人―ヤクルトの試合日だった。

 プロ野球の開幕戦が地方球場で行われることはまれなこと。巨人にとっては、1952年のフランチャイズ制導入から初めてのことになった。

 当日は被災地への義援金が募られ、観客は「がんばろう! 日本」などと記されたボードを掲げた。後攻の巨人の選手は、被災地から避難してきた子たちとタッチを交わしてから守備位置に向かった。

 現在の球場長、川村啓二(41)もその場にいた一人だった。宇部市スポーツ協会の職員になってまだ日が浅い頃。「一般企業からの転職で、地元に戻って2年目くらいかな。ここが開幕戦になって、みんな大慌て。まだ何も出来なかった頃の僕は、とにかく言われたように動いた」と振り返る。

 球場の名前は4月に変わったばかりだった。市が財政確保の一環として、1月末まで球場などの命名権を公募。手を挙げたのは同市が創業地で、物流機器のレンタル・販売などを手掛けるユーピーアール社だった。

 午後6時から行われた開幕戦では、こんなこともあった。直前にあった夜間練習の時に、バックスクリーン上にある新球場の文字が見えにくいことに市の関係者が気付いた。

 「文字には電灯が入っていない。せっかく命名権を付けてくれたのに、ってね。少しでも夜に見えやすくなるようにと、白い布のようなものを字の後ろに張ったんです」

 川村自身、元球児。宇部西高の内野手で、2年生だった2001年夏はこの球場で初戦を迎え、11―3で勝った。宇部西の夏の勝利は11年ぶりのことだった。2番・遊撃手の川村は、2安打1打点をマークした。

 大会前の朝日新聞山口版のチーム紹介にはこうあった。「西高野球部は2年生10人、1年生11人の若いチームです。毎日の厳しい練習にも明るく、楽しく、一生懸命取り組んできました。今大会の目標は、失敗を恐れず100%自分たちの力を出し切ることです」

 当時の3年生は女子マネジャー1人だったそうで、その3年生に届けた夏の白星にもなった。

 県立の宇部西は、今年度で閉校になる。母校の「最後の夏」は、この夏の山口大会で8強まで勝ち進んだ山口県鴻城高に1回戦で挑んだ。

 部員6人の宇部西は、自校に5人以上いれば他校から選手を補強できる「単独廃校ルール」を活用していた。チームには岩国高の1年生4人が同校のユニホームを着て参加し、みんなで「宇部西」として白球を追った。

 その一戦は、自身が管理する球場で行われた。「寂しい思いもある。最後の夏、見届けたいと思います」

 そう話していた川村は当日、1―7で九回まで熱戦を繰り広げた後輩の雄姿をネット裏から見守った。

   ◇   ◇   

 筆者の私は、2011年にヤクルト担当の記者としてこの球場でプロ野球の開幕戦を取材させてもらった。

 開幕戦といえば華やかな演出がある印象が強いが、この年は違った。バックスクリーンの上には半旗が掲げられ、全員が黙禱(もくとう)を行ってから試合が始まった。

 震災後は「この状況で野球をやっていてもいいのだろうか」という声が選手からも出た。一方、これまで通りの姿を見せることも、被災地をはじめ、様々な場所で住んでいる人たちにとって少しでも活力になるなどと様々な議論が行われた。

 「死力を尽くして戦い、被災地への支援もプロ野球として続ける覚悟です」。巨人監督の原辰徳が、スタンドに向かって話して始まったシーズンでもあった。

 試合前には「がんばろう! 日本」と書かれた横断幕に、選手やファンが寄せ書きを行った。選手たちは「前向きに」「助け合い」「ひとりじゃない!」などのメッセージとともにサインを記し、観客も激励の言葉を書き込んでいた。

 その横断幕は、試合前にグラウンドで掲げられた。いまは、球場玄関に写真になって飾られている。=敬称略

ユーピーアールスタジアム

 1941年、宇部市営恩田野球場として開場。当初の広さは両翼約91メートル、中堅約110メートルで、現在は両翼100メートル、中堅122メートル。2011年4月からネーミングライツで「ユーピーアールスタジアム」。2024年春からは全面人工芝になった。JR宇部線の草江駅や東新川駅から徒歩約15分。収容人数は内野スタンド席が8300人、外野2500人。

最近10大会の全国高校野球選手権の山口代表

2016年 高川学園(1回戦)

 17年 下関国際(2回戦)

 18年 下関国際(準々決勝)

 19年 宇部鴻城(3回戦)

 20年 新型コロナで中止

 21年 高川学園(2回戦)

 22年 下関国際(決勝=準優勝)

 23年 宇部鴻城(1回戦)

 24年 南陽工(1回戦)

 25年 高川学園(3回戦)

 かっこ内は全国高校野球選手権大会での成績

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