「元気いっぱいで、たくさんの喜びを与えられる人になるように」
1981年、東京都八王子市に生まれた長谷元喜さんの名前には、こんな思いが込められた。「喜」の1字は、父・智喜さん(71)からもらった。
元喜さんは、素直で優しい子に育った。慎重な面があり、人前に出ることは好きじゃなかった。
でも、小学校5年生の学習発表会では、主役の「百姓」の役に挑戦した。
母・かつゑさん(71)が驚いて理由を尋ねると、「恥ずかしかったけど、前に出てやる役をやってみたいから」。少し胸を張って答えた。
「毎日そばで見ている親でさえ知らないところで、子どもは成長していくんだな」。自分の殻を破って大きくなっていく姿に、かつゑさんは、わくわくする気持ちでいっぱいだった。
だが学習発表会の直後の1992年11月、登校中に青信号で横断歩道を渡っていて、左折してきた大型ダンプに巻き込まれ、元喜さんは亡くなった。11歳だった。
息子の残した手書きの言葉
ランドセルの中の教材には、元喜さんの手書きの言葉が残されていた。
「信号はなぜあるのか」…