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第101回箱根駅伝の壮行会で、決意を語る青学大の太田蒼生=2024年12月12日、東京都、加藤秀彬撮影
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 「君、天才かね?」

 青学大の太田蒼生(4年)は、2年前に出場した箱根駅伝を終え、原晋監督にこう褒められたそうだ。

 直近10年で7度箱根駅伝を制した名将でさえ驚く、衝撃的な走り。原監督はそれを「太田劇場」と表現する。

 絶対的な優勝候補だった駒大の勢いを消した2024年の箱根は、まだ記憶に新しい。

 駒大はその前の出雲駅伝と全日本大学駅伝で、1区からアンカーまで一度も先頭をゆずらず完全優勝していた。そのライバルから先頭を奪い返したのが、太田だった。

 2位でたすきを受けた時点で、先をいく駒大・佐藤圭汰とは22秒差。佐藤は5000メートルでアジア大会の日本代表に選ばれるなど、学生レベルを超越した選手だ。その相手に真っ向勝負をしかけた。

 8キロ手前で追いつくと、佐藤のペースや息づかい、表情を確認しながら並走した。何度も揺さぶりをかけ、残り3キロで置き去りにした。佐藤に、「今までにないぐらい悔しかった」と言わしめた。

 24年の箱根は、この3区で勝敗が決した。青学大は4区以降も快走を続け、優勝。2位駒大が10区のゴールテープを切ったのは、青学大から6分以上も後だった。

 この1回だけではない。太田の「箱根劇場」が始まったのは、1年生で3区を走った22年大会のことだ。

 トラックシーズンで目立った活躍はしていなかった。10月の出雲と11月の全日本は出場もしていない。それなのに、学生3大駅伝のデビュー戦となった箱根で、当時学生トップ選手だった東京国際大・丹所健との先頭争いをいきなり制した。

 2年目も出雲と全日本は欠場。それでも、箱根の4区では日本選手権の1万メートルで3位の実績がある駒大・鈴木芽吹に26秒差を追いつき、最後はほぼ同時に先頭でたすきをつないだ。

 他の大会では目立たなくても、年に一度、箱根駅伝では必ず開花する才能。

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 誰もが知りたがるその理由を…

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