自らの戦場体験を元に、スポーツを通じた平和を訴えた人がいた。ラグビーの早稲田大や日本代表の監督を務めた大西鉄之祐(1916~95)だ。今年は没後30年。大西の足跡をたどった著書があるスポーツジャーナリストの藤島大さん(64)に、今に生きる大西の哲学を聞いた。
1987年、早大の名物教授としてスポーツの社会的機能について研究していた大西が定年を迎えた。早大ラグビー部時代に大西の指導を受けた藤島さんは、最後の講義を取材した。
大西は終盤になると、あるたとえ話を持ち出した。
ラグビーの試合中、スクラムなどの密集の中で身動きが取れない相手エースに対し、ルールにのっとって体当たりをしてけがをさせる。相手エースは退場し、自分たちは試合に勝つ。翌日、入院している相手を見舞う時の気まずさといったらない。
大事なのは、ルールにのっとっているか否かではない。勝利を心から欲していても、体をぶつけ合う競技で精神的に追い込まれても、「待てよ、それは悪いことだ」と自らをコントロールする術を身につけること。つまりは、きれいか汚いか。
大西の熱を帯びた訴えに、藤島さんはメモを取ることも忘れて聴き入ったという。
藤島さんは大西の死後、彼を知るべく関係者を訪ね歩いた。指導哲学やアマチュアリズムへの考え方など、本人に聞きそびれたことがあったからだ。
大西に対する評価で印象的だったのが、日本代表監督時代に選手として指導を受けた宿沢広朗(2006年死去)の話だった。「戦争をしないためにラグビーをする。その考え方が大西さんのすごさだ」と語っていた。
取材を重ねるうちに、指導法…