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山形大の城戸淳二フェロー

アナザーノート 大鹿靖明編集委員

 山形県の米沢は270年にわたって上杉家が領有してきた土地である。

 謙信を家祖とする上杉家は、豊臣秀吉によって越後から会津・米沢に移された。120万石の大大名だったが、景勝が徳川家康に敵対し米沢30万石に、さらに3代藩主が跡取りを定めぬうちに急死し15万石に減封された。石高が8分の1になったのに謙信以来の家臣は多く、藩財政は常に苦しかった。

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 再建にあたったのが江戸時代中期の上杉鷹山である。殖産興業に努め、米沢織、紅花染を振興した。明治になって東京、大阪などに続き、米沢に全国7番目の高等工業学校が置かれたのは、それゆえだった。いまの山形大工学部の前身となる。本部キャンパスは山形市にあるが、工学部は鷹山が治めた米沢市にある。

「聖地」になった山形

 その山形大工学部はいま、有…

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