戦後のアートシーンを席巻した前衛芸術集団「フルクサス」などで活躍し、ノイズミュージックの作品で知られる音楽家の刀根康尚さんが5月12日、米国で亡くなった。90歳だった。オノ・ヨーコさん、一柳慧さん、ジョン・ケージさんら多彩な芸術家と交流し、幅広く活動を展開した刀根さんは一体どんなアーティストだったのか。刀根さんから大きな影響を受け、ボイスパフォーマー、実験音楽作曲家、詩人などとして国際的に活躍する足立智美さんが悼む。

2023年、米国でパフォーマンスをする刀根康尚さん©Destiny Mata. Image Courtesy Artists Space, New York.

美術、文学、哲学……芸術ジャンルを自在に行き来

 刀根康尚さんが亡くなった。彼に私淑していたアーティストは、私に限らず、世界中に数え切れないくらいいるはずだ。

 音楽に軸足を置きつつ、美術、文学、哲学など、あらゆる芸術ジャンルを自在に行き来した。専門の音楽教育を受けていないこともあるのだろうが、私はそこにモダニズムを通過した江戸の文人文化というべきものを感じていた。

 実際、ニューヨークでの生活の糧は、日本語教師と編集者の仕事だった。同じ浅草生まれの石川淳の文学について、ずいぶん語り合ったものだった。孤高のかっこよさを体現していた。

■刀根康尚さんの略歴

とね・やすなお 1935年、東京・浅草生まれ。50年代後半ごろ即興演奏を始め、70年代初頭に米国に拠点を移す。デジタル技術を駆使した実験的な音楽表現で世界的に注目され、美術評論も手がけた。

 刀根さんの音楽活動は、1960年代に世界中で同時に湧き起こった芸術運動に起源を持つ。ニューヨークでのジョン・ケージの、それまでの音楽を根底から書き換える動き。フルクサスと名乗ったグループの、もはや音とすら関係ない瞬間芸のようなパフォーマンス。ジャンルを飛び越え、過去を過激に問い直す、いわゆる前衛音楽である。

 60年に小杉武久、水野修孝、塩見允枝子らと結成した「グループ・音楽」は、ジャズの即興演奏とは違った自由即興の先駆であり、ケージやフルクサスの動きと呼応しつつ、すでにケージ以降の集団即興演奏を先取りするものだった。前衛芸術の牙城(がじょう)であった読売アンデパンダン展では、電子音楽をループにして1日中テープレコーダーから流した。音楽が「展示」された、世界でもっとも早い例のひとつだろう。

 当時もっともラディカルだったといえる高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之による芸術グループ「ハイレッド・センター」とも共鳴。千円札をモチーフとして作品を制作した赤瀬川が、偽札事件の容疑者として起訴された有名な「千円札裁判」でも、刀根さんは弁護に奔走した。

 かように「音楽」を標榜(ひょうぼう)しながら絶え間なく「音楽」から逸脱していくのが、刀根さんの流儀だった。

最先端テクノロジーを使って見せた「極限の表現」

 70年代、刀根さんはニュー…

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