日本のハンセン病の歴史では、患者の強制隔離政策の下、断種や堕胎といった患者への人権侵害が横行した。そのなかで、「死亡イコール解剖」とまで呼ばれた解剖とはどんなものだったのか。国策や国の責任を検証した厚生労働省の「ハンセン病問題検証会議」(2005年3月)の最終報告書にもとづき、まとめた。
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- 解剖の本人同意に死後の日付 捏造の可能性 岡山のハンセン病療養所
国立のハンセン病療養所で病理解剖が始まったのは遅くとも1920(大正9)年ごろ。患者を強制収容する際、「解剖承諾書」への署名が強要され、「死亡イコール解剖」という図式が定着していった。
解剖は「完全にルーチン化」
解剖は「完全にルーチン化」し、半数以上の療養所では、ほぼ全死亡例への解剖が80年ごろまで継続していたとしている。いくつかの療養所では、複数の臓器が一つのバケツに入れられて放置され、病理標本が手がつけられないままになっているなど保管のずさんさも明らかにされた。
療養所で行われていた解剖の目的について検証会議は厳しい視線を向ける。
病理解剖の大きな目的の一つは、成果を広く共有し、医学の発展に寄与することだ。だが実態は、療養所の医師らが集まるハンセン病学会などでの論文発表は多く、さらなる学術性を問われる病理学会や国際学会への発表は少なかったと指摘する。「膨大な数に上る解剖結果が、どれくらい発表され世に問われたか大きな疑問」と結論づけた。
頭から足先まで体の隅々までメスを入れ、臓器などを切り取る解剖の仕方も問題視した。
病理解剖であれば、病変がある臓器やその関係が疑われる臓器のみを摘出するのが一般的だ。だが、療養所に保存されているのは体のほぼすべての臓器で、「保存の目的が全く理解不能で、この点でも医学的常識をきわめて逸脱している」と厳しく批判する。
これらを踏まえ、報告書は「療養所は過去において、多くの場合、入所者を〝尊厳を有する存在〟として扱っておらず……」などと指摘し、医師ら医療従事者について「医療倫理感覚が麻痺(まひ)してしまっていた」と結論づけた。