男女別学の公立高校を共学化すべきかどうか、地域によって今も議論が続いています。戦後、公立高校の多くが共学となった地域と、多くが別学となった地域とでは、その誕生や過程にどんな違いがあったのか。そもそも共学とは何なのか。共学であればジェンダー平等なのか――。「男女共学の成立」(六花出版)の編著者の1人で、教育の歴史社会学が専門の石岡学・京都大教授に聞きました。
――戦後、新制高校の発足にあたり、文部省(当時)が1948年に出した「新制高等学校の実施について」との文書には、「男女共学制を採用するかどうかは、監督庁が強制的に決定すべきことでなく」とあります。あまり乗り気ではなかったんですね。
当時の人にとっては、別学こそが「当たり前」です。共学を、連合国軍総司令部(GHQ)から「押しつけられたもの」と捉える向きは、各地の史料からうかがえます。
発足当初の新制高校の多くは、戦前の中学校(男子校)や高等女学校を引き継いで開校しました。ざっくり言うと、東日本、特に北関東と南東北では別学が残り、西日本では共学化が進みました。ただ、地域によって別学、共学に至る経緯は実に多様です。
関西は「強風」、北関東は「そよ風」
――2003年の朝日新聞の記事には、元栃木県教委職員の回顧として「GHQのフレデリック栃木県担当司政官が『別学のままにしてほしい』という私たちの声に耳を傾けてくれた」とありました。
地域によってGHQの軍政部…