Smiley face
写真・図版
80歳を迎えても山下智茂さんのノックは健在だ=2025年6月11日午後4時27分、輪島市門前町清水、平井茂雄撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版

斎藤佑樹コラム

 監督として春夏合わせて25回も甲子園に出場した高校野球のレジェンドが、母校の県立高に帰り、再び甲子園を目指して奮闘していると聞き、お話を伺いに門前(石川)を訪ねました。

 その名将は山下智茂さん(80)。星稜(石川)の元監督で甲子園常連校に育て上げ、元大リーガーの松井秀喜さんらを指導しました。現在は母校・門前(輪島市)の野球指導アドバイザーを務めています。高校がある輪島市門前町は金沢市から車で約2時間。輪島市中心部から約40分。曹洞宗大本山・総持寺の門前町として栄えました。明治時代の火災で布教伝道の中心が移転し祖院となった後も総持寺とともに生活があります。

 山下さんがアドバイザーに就任したのは2022年。星稜の運営法人を退任したのを機に、輪島市が山下さんに要請しました。定員割れが続き廃校の危機だった門前の生徒を増やし、人口減少に悩む地域の活性化にもつなげたい考えでした。星稜野球部の卒業生ら市職員の人脈を生かし、頼み込んだそうです。

 山下さんは「故郷に恩返しがしたい」と快諾。今は村中健哉監督(29)らと、孫のような年の選手にノックを浴びせ、打撃を手ほどきし、投手を指導しています。「門前は自然があり人情があり、みんなが家族のようで良い場所」と山下さん。

 就任時の部員は9人でしたが「山下さんに教えを請いたい」と県内外から入学者が増え、現在は59人に増えました。村中監督は「山下先生が来てから、それまでになかった競争や活気が生まれ、地域の人が応援してくれるようになった」と話します。

 山下さんが目指しているのは「地域に愛されるチーム」。選手たちは冬になると道路の雪かきに汗を流し、正月には餅つきに参加するなど積極的に地域と交流します。昨年1月の能登半島地震や、同9月の豪雨で街が大きな被害を受けた際にも、荷物運びや泥だしなどのボランティアをしました。

 道路はいまだに復旧工事中の場所も多く、街には倒壊した家屋を解体した後の空き地が目立ちます。奥能登に大きな傷痕を残した災害ですが、山下さんは「選手たちの気持ちが強くなった。地震との戦い、豪雨との戦いで、今まで引っ込み思案の子たちが『やるぞ!』とね。それを見て頼もしくなった」と言います。

 「星稜時代は勝たなきゃいかんという思いが強かった。でも、門前で、街の人が喜ぶ姿を見れば、野球も勇気づけられて強くなっていくことに気付いた」と山下さん。

 そんなチームにあこがれ、県内外から選手が増えました。横田智哉選手(2年)は札幌市から、柏谷文哉選手(1年)は川崎市から奥能登に。「地域と密着しているのを知り、地域から応援される門前で野球がしたいと思った」と話します。

 総持寺通りの仮設店舗で洋品店を営む能村(のむら)武文さん(67)は「元気の良いあいさつなどで、街が活気づいた。あの子たちが頑張っている姿を見たら、こっちもやらなきゃ、と思う。地域の光」と話します。「試合には、みんな仕事を休んで応援に行くんだ」と能村さん。金沢市周辺の門前出身者も駆けつけ、球場での応援人数は県内でも随一だそうです。

 かつて私学の雄を率いた名将の今の目標は「私学を倒して甲子園へ」。門前は今春まで3季連続で県内8強に進んでいますが、私学の壁にはね返されています。

 山下さんは言います。「よく夢を見るんです。門前が甲子園で戦っている夢を」。老将の変わらぬ情熱は、球児だけでなく被災地の人たちも勇気づけていました。

共有