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2025年度の育成功労賞を受賞する帆足勉さん

 2025年度の高校野球育成功労賞に福島県からは二本松工や安達東(ともに現二本松実)などで監督や責任教師を務め、県高校野球連盟審判部長も担った帆足勉さん(67)が選ばれた。少ない部員数でも東北大会に出場するなど粘り強いチームをつくり、社会に通じる人間形成を図る指導をしてきたことが評価された。

 教員をめざしたのは大学2年の時。母校の郡山工が郡山西工と統合して創立した郡山北工が1978年の第60回全国高校野球選手権に初出場し、初戦で松山商を破った。「コーチとしてチームに同行させてもらった。優勝経験のある松山商に2―1で勝った。当時の加藤仁一郎監督を見て、一生かけてもいい仕事だなと。そこから教職を考えた」と振り返る。

 20、30代は熱血漢。グラウンドで大きな声を張り上げ、負けて選手らと一緒に泣いたことも。保護者が造ってくれた室内練習場に2台の打撃マシンを置いて冬季に1人1万本の打ち込みを命じたことがあった。ある朝、学校に行くと練習場内でバットが球をはじく音が聞こえてきた。打撃練習の順番が回ってこない1年生が、テントを張り泊まりがけで練習していた。「無理なメニューを与えてしまった。管理職の先生にはがっつり怒られました」

 40代に入り、選手たちに考えさせる練習に変えた。「子供たちの個性でセオリーも守備位置も変わる」。左前安打で二塁走者を本塁でアウトにするには、中継の時間をどのくらいにすればいいのか、守備位置をどうすれば一番効率が良いのか、と。

 14年に県高野連の審判部長に。指導者としての見方とは違った体験ができたという。「夏の大会は選手たちはこれがすべてだという覚悟、監督は1年の総決算だという覚悟、審判の方たちも良い判定をしようという覚悟、それぞれが覚悟をもってやっているという見方ができた」と語る。

 通算22年余り、公立高校の責任教師、監督をしてきた。「毎年、能力に恵まれた選手が入ってくるわけではないなか、いかに勝てるチームを作るかが公立の醍醐(だいご)味。私立に勝った時は気持ちよかったです」と、にこやかに話した。

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