ゼロから始まったチームに、創部3年目で夏の初勝利をもたらした。山形県の新庄南高校で長年にわたり野球部を指導した、斎藤潤弥(じゅんや)さん(60)。高校野球の発展と選手の育成に尽くした功績が認められ、日本高校野球連盟と朝日新聞社から贈られる「育成功労賞」に選ばれた。還暦を迎えた今もグラウンドに立ち、「部員のひたむきさに心を打たれます」と、情熱を燃やし続けている。
手腕を発揮したのは、母校の新庄北高の監督を経て、新庄南高に赴任した2003年から。当時、野球部は軟式しかなく、グラウンドの外野では陸上部が練習していた。
でも、部員の目は輝いていた。打撃練習では、あえて硬式のボールを使い、打球を強く打ち返す感覚を磨かせた。軟式のボールはよく弾むため、上から下にたたきつけるような打撃をする選手が多かった。大学で学んだ運動生理学を生かし「ボールの軌道に合わせて打ったほうが打球も飛ぶし、筋肉の使い方としても理にかなっている」と教えた。
すると、翌年秋の県大会で優勝し、東北大会へ。部員たちは「硬式で甲子園をめざしたい」と意欲を見せた。その熱意にこたえようと、05年に硬式野球部を創部した。
ただ、初年度の予算は5万円。打撃練習用のケージすらなく、ホームセンターで農業用のパイプを買って組み立てた。
フリー打撃では監督みずから投手を務め、連日400球を投げ込んだ。軟式より速い硬式の投球に慣れさせるため、通常の半分の距離から投げた。
成果が実ったのは創部3年目。07年夏の山形大会で初戦の相手を7―0と突き放し、コールドで初勝利を飾った。
「創意工夫すれば、夢の甲子園に一歩でも近づける。心の持ちようで、人間は大きく変わる。必死に練習してきた部員たちに教わりました」
この春、新庄神室産業高の校長を最後に役職定年を迎え、4月から再雇用のかたちで北村山高の部長を務めている。部員は1人だけだが、斎藤さんを慕う教え子らがグラウンドを訪れ、練習相手を買って出ている。
監督時代は、部員に分け隔てなく出場の機会を与えてきた。足が思うように動かせない部員でも、代打や一塁手として起用したこともある。そんな恩を感じて、教え子たちが訪問するのだろう。
この夏の山形大会は、谷地高、上山明新館高と3校で連合チームを組んで出場する。「選手たちの可能性には、すごいものがある。100%の力を出してほしいです」と期待を寄せている。