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30年以上指導にあたったグラウンドに立つ清教学園前監督の小島哲さん。全面使えるのは週3日。午後7時には完全下校という条件の中、チームを強豪に育てた=2025年5月30日、大阪府河内長野市の清教学園、渋谷正章撮影

 高校野球の発展に尽くした指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する今年度の育成功労賞に、清教学園(河内長野市)の小島哲(あきら)・前監督(64)が選ばれた。1990年から2021年まで部長、監督を務め、08年夏の大阪大会4強など、何度も好成績を残した。「学校、前任の指導者、自分と同じ時期に顧問を務めてくれた先生方、生徒たちに感謝したい」と話した。

 小島さんは天理(奈良)の選手として、1979年春の甲子園に出場。大阪体育大を経て、84年に保健体育科の非常勤講師として清教学園に赴任した。86年に中学の教諭、90年からは高校の教諭となり、同年に野球部長、94年からは監督となった。

 指導者としては甲子園に出られなかったが、春、夏、秋の府大会では16強に23回、うち8強に7回、4強に3回入った。野球を続ける卒業生が多く、プロ野球のダイエー、ソフトバンクで活躍した水田章雄投手もいる。

 当初は厳しい指導で選手を引っ張ったが、多くの部員が辞めたことから、選手目線の運営に改めていった。練習は遅くても午後6時半には終了。週1日は休みを設けて、学業との両立を後押しした。限られた練習時間を生かすため、メニューは事前に伝え、各自がテーマを持ってグラウンドに飛び出せるようにした。保護者や卒業生、後援会の支援でピッチングマシンや打撃ケージを多くそろえ、各所で打撃練習ができる環境を整えた。

 自らの高校時代、右ひじのけがに苦しんだため、体づくりには特に心を砕いた。月に1度発行する部内新聞で、食事や休養、睡眠の取り方のコツを伝えたり、合宿中にスポーツ医学の学習会を開いたりした。

 「目いっぱい好きな野球に取り組んで、大学にも進んで、誇りをもって卒業していってほしい」。その思いで指導者を続けた。

 現在は部の指導から離れ、嘱託教諭として高校の保健体育の授業を受け持つ。気になるのが、うまく投げることができない生徒が増えたこと。「小さい時から野球に触れたことすらないのだと思う。野球を嫌にさせないような取り組みが大事になる」と語った。

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