9年ぶりに、岩手県の大船渡市で行われたケセンロックフェスティバルに出演した。
地元の有志たちの手によって住田町の種山ケ原ではじまったケセンロックフェスには、深い思い入れがある。東日本大震災の後、途方に暮れるばかりだった自分と被災地を繋(つな)いでくれたのは、このフェスに関わる人たちだった。彼らとロックバンドとのつながりが、東北の町にいくつかのライブハウスを誕生させ、そのライブハウスが被災地と支援者をつなぐ結び目のひとつになった。
震災の後にボランティア活動で訪問した大船渡の市街地は、瓦礫(がれき)が道の端に片付けられていたが、津波の爪痕は生々しく残ったままで、溜(た)まった海水の蒸発する匂いが町の所々に立ち込めていた。フェスの打ち上げで世話になった店も被害を受けており、風景の変貌(へんぼう)ぶりに立ち尽くすしかなかった。
新型コロナの感染拡大を受けた休止期間を経て、フェスはかつて自分が立ち尽くした大船渡の市街地の、海辺の一角に整備された公園へと移転した。ステージからは多くの人の笑顔が見えた。それぞれの人生の端々までは見えないが、この瞬間、この場所が多くの人の喜びで満ちていることを嬉(うれ)しく思った。
ふと、音楽の力という言葉が頭を過(よ)ぎった。世界情勢や自然災害を前に相変わらず無力を感じるが、この素敵な風景は間違いなく音楽を愛する人たちが作ったものだった。大震災や新型コロナの渦中にあって、私たちをつないでくれたもの。音楽の力というよりは人間力と呼ぶべきかもしれないが、彼らを支えたり、私たちをつなぎ合わせたりするのに、音楽が一役買ったのは間違いないと思う。
分断ばかりが目につく社会のなかで、音楽にできることは何か。生まれた町も育った環境も違う私たちが、共に笑顔で歌い踊る時間には、人々を属性でより分ける境界線など、存在しないように思えた。(ミュージシャン)
◇毎月第4日曜日に掲載します。