Smiley face
演出家のユージェニオ・バルバさん(右)との再会を喜ぶ=2月、メキシコで。本人のフェイスブックから

 ■人のあるがまま、抱きしめ踊る

 3月3日死去(髄膜炎) 本名・中島夏枝 80歳

 ダンサーとして国際的に活躍しながら、ダウン症や自閉症の人々とともに踊る活動を30年以上続けた。ハンセン病の療養所でも踊った。侵略の歴史を痛みとして抱える中南米の地を拠点のひとつとした。そうした生き方が、人間の本質を見つめる透徹したまなざしをこの人に与えた。

 「見捨てられたもの、無駄なもの、病めるもの。人々が社会の中で排除するものにこそ、美を認め、抱きしめる。それが彼女の舞踏だった」と長年の友人で、編集者の中島ゆかりさん(70)は語る。

 樺太に生まれ、引き揚げ船に乗り、秋田から東京へ。親のリュックの中で丸まって聞いた霧笛の音が忘れられず、のちに己のダンスカンパニーを「霧笛舎」と名付けた。

 バレエとモダンダンスの鍛錬を経て、舞踏のパイオニアである土方巽(ひじかたたつみ)と大野一雄の薫陶を受ける。文学への傾倒から、言葉そのものが生命体のごとく蠢(うごめ)き踊る「病める舞姫」を書いた土方からの感化はとりわけ強かった。あらゆる芸術が同じ核を持ち、連なり循環する踊りを志した。

 媚(こ)びず、群れず、周囲の無理解に人知れず葛藤した。「国境なき身体で、肉体という土地の奪還を求める」と昨年、新作発表の折に述べた。

 今年2月、久しぶりに訪れたメキシコで、舞踏を生きるよすがとする教え子たちに再会し、心がほぐれた。自身の老いすら踊りの本質を語りかけてくるようだった、と周囲に語った。「私の舞踏」を再発見し、希望をかみしめた。

 その数日後、帰国直前に体調不良を訴えて入院し、そのまま足早に旅立った。現地で葬儀が営まれ、100人近くの教え子が集い、棺(ひつぎ)を囲んで舞った。人間をあるがままに踊る。それでいい。幸福な気付きを胸に抱えながら迎えたその死もまた、舞踏であった。(編集委員・吉田純子)

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 なかじまなつ

 <訂正して、おわびします>

 ▼6月29日付惜別面「中嶋夏さん」の記事で、亡くなった日付が「2月3日」とあるのは「3月3日」の誤りでした。

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