■経済学者・暉峻淑子(てるおかいつこ) 《1960年代前半、鶴見女子大学(当時)で講師の職を得る。その後「生活経済論」を執筆し、経済学博士に》 次男を妊娠した時には身重の体で大学に通っていましたが、男の先生はいつも私のおなかを気にしているようでした。「妊娠してるのになぜ勤めているんだ」という…