日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞授賞式には、日本で被爆した「在韓被爆者」も参列した。ただ、韓国では「原爆が日本の植民地支配を終わらせた」との見方が根強い。受賞を祝う一方、その日本の被爆者団体の受賞をどう受け止めているのか。
昨年12月10日、ノルウェー・オスロ。被爆2世で韓国原爆被害者子孫会会長の李太宰(イテジェ)さん(65)は、1歳のときに広島で被爆した韓国原爆被害者協会の鄭源述(チョンウォンスル)会長(81)と共に伝統的な韓服に身を包み、授賞式会場に向かった。
持参した「声明文」には、日本被団協の受賞をたたえる文言に続き、こう記した。「韓国人の被爆者は国際社会の無関心によって完全に疎外され、無視されてきました」「私たちの心からの望みは、賞をきっかけに世界中の核被害者への関心が高まること。そして、彼らが絶望から救われることです」
日本政府による徴用や出稼ぎなどで広島・長崎に渡り、被爆した朝鮮半島出身者は数万人とも言われるが、実態はいまだわかっていない。厚生労働省によると、昨年3月末時点で韓国では1678人が被爆者健康手帳を持つ。国交のない北朝鮮での人数は不明だ。
李さんの父・康寧(カンニョン)さん(故人)は17歳で被爆。1945年当時は長崎市内の三菱兵器製作所大橋工場に徴用され、魚雷製造に携わっていた。その年の秋に現在の韓国に位置する釜山に渡り、94年に再来日して被爆者健康手帳を取得。だが、韓国への帰国を理由に健康管理手当の支給が停止された。これを不服として長崎地裁に提訴し、2006年に「出国しても被爆者の地位を失わない」と最高裁に認めさせた。
康寧さんは、在外被爆者を日本政府が責任を持って援護するよう裁判で求めていた。「戦争の歴史を繰り返さないことが何より重要だと強調していた」と李さんは話す。「二度と原爆の被害者が生まれないように日韓の被爆者が声を上げ、両国政府はその声に耳を傾けなければならない」
鄭さんも「日本の戦争責任と米国の原爆投下責任を問うことが、もう二度と核が使われないために重要だ」と訴える。
ただ、足元の韓国社会でも原爆被害を訴えることが難しい面があるという。1910年から35年間続いた日本の植民地支配を終わらせたのが原爆だ、という声も根強いのが一因だ。
また、ノーベル文学賞にハン・ガン氏が選ばれたり、授賞式の1週間前に非常戒厳が出されたりするなど、韓国内で大きなニュースが重なり、被団協の平和賞受賞が期待通りの注目を集められなかったという。
「韓国も核武装を」、6割超が支持
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