自宅前の畑で花を手にする米沢辰子さん。手前は孫の優和ちゃん=石川県輪島市町野町南時国、家族提供

 能登北部を襲った記録的な大雨は、元日の能登半島地震を耐えた人たちから、大切な家族を奪った。孫の成長を「生きがい」と語っていた女性は、長男夫妻や孫を気にかける言葉を残し、土砂崩れの犠牲になった。

 石川県輪島市町野町。米沢辰子さん(当時83)は長男の斉(ひとし)さん(62)、優子さん(41)夫妻と孫の優和(まお)さん(6)と3世代4人で暮らしてきた。

 自宅は山際にある一軒家。元日の能登半島地震で半壊と認定された。一家は1キロほど離れた仮設住宅と自宅の間を往復しながら、ささやかな日常を続けていた。

 9月20日の夜、一家4人は自宅で食卓を囲み、かき氷を食べた。斉さん夫妻と優和さんの3人は仮設住宅に戻ることにし、辰子さんにおやすみを告げた。朝食はまた、4人で自宅で食べる予定だった。

 翌21日朝。二重サッシの仮設住宅の中にいた斉さんは、雨音が大きいとは感じなかった。

 午前8時半ごろ、辰子さんから電話がかかってきた。「雨、どうや?」と斉さんが尋ねると、「川はもう氾濫(はんらん)しとるわ。水が引いてから来たらいいし」と辰子さんは答えた。

 これまでも大雨の日は山からの水が自宅の前を川のように流れていくことがあった。大工だった斉さんの亡き父が建てた自宅は丈夫で、何かが起こることはなかった。

 だが、この日は違った…

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