Smiley face
写真・図版
子ども時代の写真を手に持つエバ・セペシさん(中央)と長女のユディトさん(右)、次女のアニタさん=2024年12月18日、フランクフルト、寺西和男撮影

【連載】証言 アウシュビッツ解放80年(1)

反ユダヤ主義が高まる中、アウシュビッツ強制収容所の生存者たちは、差別と憎しみの再来に心を痛めています。一方で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃に対する批判も認識し、複雑な思いで見つめています。

 第2次世界大戦末期の1945年1月、12歳だったエバ・セペシさん(92)は、ナチス・ドイツによってユダヤ人らが収容されたアウシュビッツ強制収容所内の板張りベッドで、横になっていた。目を開けると、隣の女性はすでに息絶えていた。

 連合国側に追い込まれたナチスの親衛隊(SS)の隊員たちは、ガス室を爆破するなどした後、収容者たちをドイツに連れて出て行ったが、衰弱して高熱で動けなかったセペシさんを死んだものと思ったのか、放置していった。

 水も食料も口にしないまま1週間ほど過ぎてふと、くちびるに冷たいものを感じた。雪だった。気がつくと、連合国側のソ連軍兵士が笑顔で立っていた。「いつものようにののしられなかったので、いいことが起きたのかなと思った」。それが記憶に残る45年1月27日、アウシュビッツ解放の瞬間だ。

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