特攻任務を帯びた当時16歳の少年飛行兵は、爆弾を抱えた戦闘機で中継地から飛び立つはずだった。運命が変わったのは1945(昭和20)年6月29日。出撃を待つ岡山で空襲に遭遇し、「地獄」を見た。1700人を超える犠牲者を出したあの日から80年。死に直面した記憶は、96歳になった今も脳裏に鮮烈に残る。
元少年飛行兵の堀尾幸二さん(96)=兵庫県市川町=。岡山空襲の数日前、陸軍の少年飛行兵として、大正飛行場(大阪)から児島湾近くの飛行場に到着した。
45年6月29日未明、兵舎から飛び出すと米軍のB29が飛んでいた。高度を下げて焼夷(しょうい)弾を落とす。シャー、シャー。風を切る音が耳に届いた。爆弾は数十個に分かれ、地上近くになると一斉に火の手が上がるのが見えた。目の前が燃え上がるようだった。
その後、救援活動を命じられて岡山市街地に入った。一面が焼けてくすぶり、異臭がした。「遺体に足がなかったり、腕が半分だったり、まさに地獄」。親を亡くして泣き叫ぶ子どもたちが、随所でさまよっていた。遺体を集めて歩き、油をかけて燃やした。
米軍機の機銃掃射 命落とした同期生
1週間も経たないうち、急き…