樺太(サハリン)からの緊急疎開船3隻がソ連軍の潜水艦攻撃を受け、1700人余りが犠牲になった「三船遭難事件」は22日、80年を迎えた。
- 「193」の木箱に入った親子 ソ連の疎開船攻撃で1700人犠牲に
三船のうち、小笠原丸は増毛沖、泰東丸は小平沖で沈没。大破した第2号新興丸は留萌港に避難したが、多くの乗客が海に投げ出された。
この日、留萌市や増毛町では犠牲者を悼む慰霊の行事が各所で営まれた。
留萌市の了善寺では、遺族や市民ら約30人が焼香した。市営墓地に立つ三船殉難之墓に移動し、日本海を望みながら手を合わせた。
大阪府吹田市の小倉昭彦さん(74)は、妻(71)の母の祖父母一家が小笠原丸で亡くなった。遺品整理をしていた7年前に戸籍抄本で知った。「戦後80年の節目に来られてよかった」
増毛町では、小笠原丸犠牲者を弔う殉難之碑の前で遺族ら約40人が慰霊した。碑が建てられた1952年から毎年続く。
今年、碑の横に事件の経緯や船の写真、私財を投じて犠牲者の遺骨を捜した故村上高徳さんの功績を記した黒御影石の石版を設置した。堀雅志町長は「記憶が薄れていく中で碑の意味を記録として伝えたかった」と話した。
日本海を見下ろす留萌市の黄金岬に立つ慰霊碑「平和の碑」前でも、市民有志による追悼式が営まれた。このほか、市内では地元の障害者らでつくる劇団の朗読劇「慟哭(どうこく)の海」の公演、永福寺の境内では市民が鐘を突き、平和を願った。
「三船遭難事件」の舞台となった留萌市、小平町、増毛町には、いまも名前が分かりながらも無縁仏として扱われている62人の遺骨が眠る。名前の非公開が引き渡しの「壁」になっている。
名前が判明している遺骨は留萌市が35人、小平町が3人、増毛町が24人。留萌と小平は合葬、増毛は殉難之碑の納骨堂に安置されているが、いずれも名前は公開していない。
留萌市は市の個人情報保護条例に基づき、「死者に関する情報が、保護の対象となる遺族などの個人情報になり得ることもあるため」と説明。小平町は「(埋葬者名簿は)遺族を捜すことを使命としているものではない」、増毛町は「小笠原丸は旧逓信省所管の船であることもあり、町で主体となって遺族を捜索するものではない」という。
■「偶然」期待ない…