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写真・図版
総選挙の躍進にわく社会大衆党の本部=1936年2月、東京市日本橋区(現・東京都中央区)

 既成政党への不満が如実にあらわれた。それが1936(昭和11)年の帝国議会・衆議院総選挙だった。社会主義を掲げる無産政党から次々に当選者が出て、その数は前回の5人から22人に増えた。朝日新聞には、時代を画するという意味で「画時代!無産党進出」の見出しが躍った。

 顕著だったのが当時の東京5区(定数5)で、政友会、民政党の2大政党を押しのけ、無産派の候補が1、2位を占めた。目黒や世田谷などを含む5区は住民が急増した住宅地で、地縁血縁が薄かった。そのぶん浮動票が多く、選挙の「風」が強く吹いた。

 「彼らは既成政党とは違う。そんな期待感が、とくに都市部で形成されていた」。そう語るのは日本近現代史が専門の源川(みながわ)真希(まさき)・東京都立大学教授だ。

 人々が既成政党に冷ややかに…

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