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西日本短大付の西村監督(左)と弓削部長=2025年8月4日午後4時0分、兵庫県西宮市、山本達洋撮影

 第107回全国高校野球選手権大会で9日に初戦を迎える、福岡代表の西日本短大付。西村慎太郎監督(53)がチームを率いて初めて出場した21年前の夏、遊撃手のレギュラーだったのが当時2年生だった弓削博輝部長(37)だ。21年の時を経てさらに信頼関係を深めた2人が再びそろって夏の甲子園に挑む。

 「まさかこんな日が来るとは。まるで映画みたいだな」。開会式のリハーサルが行われた4日、甲子園のスタンドに座ると、西村監督がつぶやいた。弓削部長も隣で「2人で戻ってこられて感慨深い」と、笑顔を見せた。

 2004年夏、第86回大会。東海大甲府(山梨)との初戦に出場した弓削部長は5打数1安打に終わり、チームも6―11で敗れた。最後の打者となり、「先輩たちと、もう野球ができない」と申し訳なさと悔しさでいっぱいだった。

 新チームが発足すると主将に。ただ、甲子園経験者は自分を含め2人だけで、秋の県大会は2回戦で敗退。それでもチームは「甲子園に出た先輩たちも秋は2回戦敗退だった」と、どこか楽観的だった。

 自分は、甲子園に行ったときの高いレベルを求めているのに――。危機感を抱え、西村監督のもとへ相談に行った。「どうやったら勝てますかね」。悩み、葛藤する弓削部長に西村監督は「気持ちで一生懸命やらないと。俺とお前でとにかく声を出そう」。その後練習の緊張感が増し、ミーティングも積み重ねたチームは少しずつ上向いていった。

 西村監督は当時の弓削部長について「リーダーシップや自分への厳しさ、人を包み込む優しさなど、指導者に必要な要素をすでに発揮していた」と振り返る。

 だが、ノーシードで迎えた福岡大会は5回戦で敗退。2年連続の夏の甲子園出場はかなわなかった。それでも「その悔しさも人生の糧になった」と、弓削部長は言う。

 福岡大学に進学後も野球を続けた。そして保健体育科の教員として13年に母校に戻り、野球部での指導者になった。今年1月にはベンチ入りが可能な部長に。「指導者って、こんなこともしないといけないんだ」。技術的なことだけではなく、生徒募集や部員の進路指導、大会出場のために提出する書類の作成……。プレーの裏には監督や部長らの苦労があったことも改めて知った。西村監督は「気持ちを分かってくれる同志が現れた」と笑う。

 「目の前のことだけではなく、常に先を考えている」(弓削部長)、「相手のベンチにいたら嫌なくらい優秀」(西村監督)と、お互いへの信頼は厚い。そんな2人が見据えるのは、監督と選手だった21年前と変わらない。1992年以来となる2度目の全国制覇だ。

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