いまや笑い話だが、当時は泣くに泣けなかった昔話をいくつか。
僕が初めて相撲担当になったのは、入社7年目の2000年。当時の番付最高位は曙、貴乃花、武蔵丸の3横綱だった。
相撲記者の仕事は、偶数月末の「番付発表」から始まる。発表の朝、横綱や新三役、注目力士らの会見があり、今場所の抱負などを取材。翌日から朝稽古に通い、2週間後の初日に備える。
朝稽古で力士の調子を取材し、稽古後のクールダウン中に雑談を交わして記事に書けそうなエピソードを探る。時に、一緒にちゃんこを食べようと誘われることもある。
新聞記者の現場リーダーを「キャップ」という。慣れてくれば、朝稽古の取材先は自分で決めるのだが、最初は右も左も分からない。キャップが取材先を指示する。
僕が初めて相撲担当になった00年。いま千葉・銚子支局長を務めている根岸敦生記者が大相撲キャップだった。
相撲取材の初日。根岸さんの指示は「貴乃花を見てこい」。東京・中野にあった二子山部屋に向かった。
相撲部屋は親方の個人財産だ…