天平時代には1千人もの僧らが暮らしたと推定される東大寺の三面僧坊。19日に発表された寺などの調査団による僧坊跡の発掘調査で、焼けた土の層が確認され、様々な記録に残る講堂・僧坊の3度の焼失が考古学からも裏付けられた。
- 奈良・東大寺で巨大な三面僧坊の礎石が出土 3回の焼失裏付ける跡も
僧らが議論し、学ぶ場である講堂と、生活の場である僧坊はセットで建てられることが多い。国家の寺として多くの僧が学んだ東大寺では、講堂の東西と北を2重にコの字形に囲む長大な僧坊が建てられ、「三面僧坊」と呼ばれた。
正倉院に伝わる絵図などから、東西約221メートル、南北約126メートルの規模だったと推定される。
正倉院に伝わる文書には、大…